9月某日
新宿の道楽亭で「はばたけ!! 令和元年年明け三人組」という浪曲会が開かれていたので聴きにいった。浪曲の世界には前座、二ツ目、真打といった落語のような階級はないのだが、年明け、あるいは年季明けということがある。落語で言えば前座に当たる立場の浪曲師が、これからは一本立ちしてやっていくということで披露目を行うのである。今年になってその年明けを果たした三人の会だ。富士三楽門下の富士実子・富士綾那が四月、亡くなった港家小柳門下の港家小そめが六月にそれぞれ披露目を行った。小そめの会には行って、今年九十六歳になる曲師の玉川祐子が三味線を弾くのを聴いた。師匠の小柳が亡くなって親代わりを務める小そめが披露目をするときには必ず、と約束があったらしい。
裏で大きな会があったこともあって客入りは控えめだったが、それでも土曜の午後としては十分な入りである。以下の演目で、曲師はすべて馬越ノリ子。
「継母の誠」富士綾那
「愛染松山城」富士実子
仲入り
トーク
「宮様と自転車」港家小そめ
会が終わって外に出て、新宿二丁目の通りを東に向かって歩く。地下鉄の新宿三丁目駅が最も近いのだが、やり過ごしてさらに東へ。靖国通りで地下に入れば、新宿サブナード2丁目広場で古本まつりの「古本浪漫洲」の開催中なのである。
何日かごとに内容を入れ替えての古本まつりで、この日は映画パンフレットや絵本などの大型本のワゴンが目立った。後で聞いたところによると昔の男性アイドル関連の映画や雑誌などが多かったらしく、そのファンの方にはお宝もあったとか。私はざっと眺めただけで通り過ぎる。
新宿駅から総武線に乗って西へ。ひさしぶりに阿佐ヶ谷駅で下りた。先日閉店したネオ書房の店主を、評論家の切通理作氏が代替わりで引き受けたことが話題になった。それからまだ行っていないので、新宿まで出た機会にちょっと寄っていくことにしたのだ。以前西新宿に住んでいたころはたびたび訪ねる機会もあった中央線沿線だが、南側に引っ越してからは足が遠のいてしまった。この機会にざっと見て回ることにする。
駅を北口に出て、商店街の中を歩いていくとすぐに出くわすのが千章堂書店である。アーケードの中に開いた店構えはこれこそ昭和の古本屋という由緒正しい面構えで、軽めのものから重たい専門書まで幅広く取りそろえた品ぞろえも頼もしい。店頭の均一棚が充実しており、ここでアポリネール『若きドン・ジュアンの冒険』(角川文庫)とアーウィン・ショー『真夜中の滑降』(ハヤカワ文庫NV)を拾う。店内の民俗文化のコーナーで野一式幹夫『浅草横丁』(潮流社)を見つけたのでこれも購入する。浅草についての随筆や小説を書き続けた著者の一九八一年の本だ。この人の本はまったく文庫に落ちていないので、見つけたら確保しておかないといけない。
さらに北に進めばネオ書房である。店内は切通色に一新されており、特撮などの映像作品やマンガを中心としたサブカルチャー系の本が棚に色濃く並ぶ。店の中央には駄菓子のコーナーもしつらえられ、街中の和み場として使ってもらいたいという店主の配慮を感じた。小林信彦責任編集『テレビの黄金時代』(キネマ旬報社)があったので購入する。切通氏がいたらご挨拶しようかと思ったのだが、不在の様子である。後でツイッター経由で教えていただいたところによると、二階があってそこでライター講座の最中だったのだという。また後日改めて伺うことにしよう。
その先さらに行けば古書コンコ堂。端本の叩き売りからは様子の程遠い店頭均一棚で三ヶ島糸『夫・左卜全 奇人でけっこう』(文化出版局)を発見する。夫人による回想録で、これが103円というのは本当に安い。たぶんこの本に呼ばれて阿佐ヶ谷まで来たのだろうと納得した。巻末を見ると清水きん『夫山本周五郎』とか吉川英明『父吉川英治』といった係累による評伝を連続して出していた時期のものらしい。1977年の本である。
店内に入ると中央の通りが海外小説の強い文学棚でその奥に古典芸能の地帯がある。ここで三笑亭笑三『三笑亭笑三のRAKUGO人生―人間、上もなければ下もない』(北泉社)を拾い、ひょいと見たら棚の上に大きな箱入り本がある。本というか『ご存じ古今東西噺家紳士録』はCD-ROMのソフトで、SP盤などからの音源収録もあるので非常にありがたい。問題は家のパソコンで動くかどうかということなのだが、それは後で考えることにして、取りあえず購入する。コンコ堂、今回もおそろしい収獲だ。
道なりに進んでいくと駅から続く大きな道に出る。渡ったところに銀星舎。店構えは大きくないが、その分密度は高く、店頭の均一棚からしておもしろい。何冊かハヤカワ・ミステリの良いものを拾う。絶対にダブりだが、誰かは必要だろう。その下の均一ではなくて値付けのされた本で、『落語東京名所図絵』(講談社)を手に取った。三代目三遊亭金馬の遺構に当代金馬の原稿を併せて一冊にした本で、親子競演の落語家本というのはそういえば珍しい。たしか文庫にはなっていないはずなので、これもいただくことにする。
そこから同じ道を北に行ったところに本日の終点、ゆたか。書房。そういえば池尻大橋に。のないゆたか書房という貸本屋があって、中古の本を販売もしていた。移転してビルの一室で営業を続けると宣言したのだが、その場所に行ってみたら別の店が入っていた。あれはどうなったのだろうか。そんなことをぼんやり思いながら中を見て、出る。縦の本棚で三つの通路が作られた店内は、歴史本が多めで、目的を持って探せば見つけられるものもありそうだ。この後の予定があるので、残念ながら深掘りはせずに外に出る。
駅のほうまで戻ってきて、線路沿いに走っている商店街に。いつの間にか閉店していて、往事を偲ぶ記憶もない川村書店跡を通過する。1988年版の『全国古本屋地図』によれば、元共産党の区議会議員を務めた人が店主で、古書組合の相談役も務めたのだという。その先に山岳書に強い、というか登山家でそれが昂じて山岳書専門古書店を始めた穂高書房があるのだが、どうしたことか閉店時間でもないのに扉が閉じている。ガラス戸から覗いてみると、店内には本の入った段ボール箱が堆く積まれ、営業している様子もない。不審に思いつつも引き返し、この日の全行程を終えた。このことをツイッターに書いたら、後刻いそがいはじめさんから、夏に店主が亡くなったことを教えられた。なんということか。山岳書関連では本当に頼りになる古本屋だった。あそこに行けばあれがある、と頼みにしていたのに。もっと早く行けばよかったと悔やまれる。どうぞ安らかにお眠りください。
これで上述の『全国古本屋地図』記載の店は千章堂書店だけになってしまった。南口の佐伯書店、栗田書店、星野書店、北口の今井書店、恵林堂書店も今はない。だがそれに替わる新しい店ができているわけで、阿佐ヶ谷の古本文化は健在である。