4月某日
早朝に浜松の宿を出る。駅前の南口にあり、そこから改札口までは指呼の間である。東海道線で一駅乗って、昨日の終点であった高塚駅まで行く。ここから国道257号線をえっちらおっちら歩くのである。
特色のあまりない一本道であり、途中に東海道67番目の篠原一里塚を見つけただけでも大いに楽しみになる。一里塚は東海道歩きにおける一大イベントである。やがて街の雰囲気が空が広いだけではなく、植生も海の近い雰囲気に変わってくる。なんだろう。あちこちにこぼれている白砂のおかげなのだろうか。松並木が見えてくる。道の両側に東海道の宿を一つずつ描いた石が据えられているので、見ないでも宿名を言えるか試しながら歩く。やがて見附の石垣があり、その向こうからは宿域内である。舞坂の一里塚。これで東海道68番目だ。
舞坂はそれほど大きな宿ではなかったようである。しらすや干物を売る土産物屋がちらほら見える通りは、江戸の昔ではないものの、昭和の頃までの雰囲気はよく残している。
実はここを最初に歩いたとき、雑貨屋だか洋品店だかの前に「古本あります」の貼り紙がしてあるのを見たのだ。おそらくは家人の読み古しを一時的に売っていただけで、今はもう跡形もないだろうと思いつつ、やはり目で追ってしまう。あさましいものできょろきょろと眺めているうちに、そう長くない通りは終わりになり、脇本陣に着いてしまった。本陣は他にもあるが、東海道では唯一ここだけが脇本陣の建物を公開している。といっても建物自体は復元されたものらしいが、往事の作りを比較的よく残している。
脇本陣を出て雁木、つまり当時の船着き場に。史跡なのでここに駐車は遠慮くださいという立て札の前に堂々と何台もの車が停まっていて笑った。地元の人から見ればちょうどいい駐車場だろう。そこから弁天橋を渡って、浜名湖を拝み、弁天島まで行ってこの日の行程はおしまいである。次回は浜名湖上を橋で渡って次の新居宿を目指す。
時間が合えば弁天島に日帰り入浴のできる温泉もあるのだが、まだ残念ながら午前中でやっていない。おとなしく東海道線に乗って、浜松駅まで戻った。さて、ここからまた古本屋タイムである。
浜松市内はおおかた回ったが、北方に二つ行ってない古本屋がある。とりあえず遠州鉄道の始発である新浜松駅から電車に乗る。ここから延々といった遠州小松駅は浜松市ではなく隣の浜北市になる。駅前すぐのところに、寿堂があるのだ。
駅前の道を南下するとすぐ店が見えてくる。骨董も扱っている店であり、奥の帳場横がそのスペースになっている。店内は郷土資料が多い印象で、浜松市天竜公民館編『天竜川と東海道』という本を拾った。総合的に天竜川の水運や産業との関わりを述べた本で、いつか東海道の本を書くときの参考になるだろう。東海道の本を書いてくれという注文は今のところどこからも来ていないが参考になるだろう。いや、ならなくても読むが。
店を出て遠州鉄道にまた乗る。ここから新浜松駅近くまで戻り、北へ向かうバスをつかまえるのだ。昨日歩いた、開陽堂書店の面した本坂通りは姫街道であり、浜名湖北岸を通るので北へ向かう。それに沿って行き、泉町中という停留所で降りたすぐそばに丸書房があるのだ。『全国古本屋地図』によれば、以前は市内の鹿谷町にあった由。乗りたかったバスを逃しはしたものの、問題なく目的の停留所に着くことができた。ただ、車窓から見えた丸書房はシャッターが下りていたような気がするのだが。
嫌な予感を抱えつつ引き返すと、やはりそうだった。閉まっている。シャッターに掛けられた札によると、月のうち10日から末までの変則営業なのだとか。なんということか、今は9日である。あと1日後だったらやっていたのだ。残念だが仕方ない。次回は必ず10日以降に来ようと固く決意した。見れば道の反対側に停留所がある。そして今まさにバスがそこにやってこようとしていた。不幸中の幸いで駆けだしたところ間に合って、乗ることができた。こんなことでもよかったよかった、と少女ポリアンナのように納得する。
バスで浜松駅まで戻る。すぐに来る東海道線に乗ってもいいのだが、1時間弱待てば熱海までの直通が来る。それに乗って、実り多き浜松行はおしまい。