「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」番外編。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい
若者は頑ななものだ。
実はじいさんばあさん、おじさんおばさんよりも頑固である。生き方を変えれば、という提案には特に。自分の道からはみ出すことを拒む。
これは考えてみれば当然のことで、まだ歩いたことがない道がたくさんあるからだ。
まだ歩いたことがないから、そこに一歩を踏み出すのには相当な勇気が要る。そのまま進路を変えずにいれば、少なくとも要らぬ気遣いをする心配はない。それが頑なさに見えるのである。頑ななのには理由がある、と問われれば言うだろう。
木村椅子『ウミガメみたいに飛んでみな』は、そんな頑なさについての短篇集である。木村は北海道出身の作家で、いくつかの短篇をコンテストに応募した後、2017年に「ウミガメみたいに飛んでみな」で第11回小説宝石新人賞を授与された。同作を収めた本書が、木村のデビュー単行本となる。
■きみがうまくいかない理由はきみの心の中にある
「ウミガメみたいに飛んでみな」は大学生の孝一を語り手とする物語だ。舞台となるのは深樽別市という札幌市の近くにあるという架空の街である。札幌市の手稲区には三樽別川が流れているので、それに倣った地名か。木村は北海道出身で、たびたびこの深樽別を舞台にした小説を書いている。
東京の大学に通っている孝一は、しばらく実家に帰っていなかった。四年前に母が亡くなり、そのことが彼を家から遠ざけたのだ。残っているのは地元で派遣社員として働く妹の瑠々子と、父親だけだ。その実家に孝一が帰ろうと思ってみようと思ったのは、大学四年になり、就職活動がうまくいっていなかったである。電話に出た妹の口から、孝一は意外極まりないことを聞かされる。
父親が「まりりん☆ガッデス」にはまっている。
なにそれ。
まりりん☆ガッデスというのはお察しのとおりアイドルグループである。神話の女神をモチーフにした衣装を着た五人組の女性アイドル、というのはたぶんももいろクローバーZがモデルだろう。アイドル、詳しくないけど。その話を聞かされ、孝一はただただおもしろくなかった。五十代にもなって、何若い娘に狂っちゃってんの。そんな気持ちのまま帰ったものだから、ひさしぶりに会う父親や妹ともぎくしゃくしてうまくいかない。おまけにつき合っていたリエとは帰省前からうまくいっておらず、電話をしたら別れを切り出す言葉までつきつけられた。もう最低の気分で、思わず孝一は家族に当たってしまう。
この本には、いろいろなうまくいかない人たちが登場する。たとえば巻頭の「シューゲイザーズ」もそうで、なんだかんだと人生から逃げてきた結果、三十代にしてフリーター生活で、友人に世話してもらったアルバイトも深酒が原因で当日欠勤、鳴り響く電話も無視してひたすら現実逃避するというダメ男・トシローが主人公だ。そんなトシローにもかつては光り輝く時代があったのである。今人気のロックバンド、ラッキーストラヴィンスキーのギタリストとしてがんばっていた。それを自己都合で脱退したあとから迷走が始まったのだ。テレビにそのラキストが映るとトシローは「やくみつるの早押しクイズくらいのスピードでリモコンを取り上げチャンネルを替え」ることで問題を解決する。つまりすべて見なかったことにする。見なければ、それはないのだから。
■自分がそんな自分であるということを認めるんだぜ
本書に収録された短篇群には共通点があって、どうにもならなくなった人生が偶然の出会いや、身近な人の優しさによってほぐされていくのである。つまり自助努力ではどうにもならなかったということでもあり、それがかっこ悪くもある。かっこ悪いんだけど、人間はそんなにすぐかっこよくはなれないと認めているところは潔い。「ウミガメみたいに飛んでみな」と「シューゲイザーズ」はダメ男小説だけど、他にもいろいろな格好悪い人生を送っているひとびとが出てくる。「ディグ・アウト・ユア・ナイフ」は会社でも自宅でも他人から軽く見られている男が、息子の身に降りかかったある疑惑のために悩む話で、何もできない自分に彼は落胆する。だけどそれを受け入れ、息子と素直な気持ちで向き合うことができるようになるのである。読後感は清々しいものがある。
「勇者のんこと悪の魔女」は小学生の女の子が主人公だ。お母さんが家出してしまい、お父さんは連れ戻すことができない。そればかりか離婚の可能性が浮上してきたのに、仕方ないか、とふてくされているのだ。つまりダメ男のせいで主人公が苦労するというパターン。ここでのんこは現実を受け入れることができず、物語の中に逃避して優しかったお母さんの像を守ろうとする。「その金色を刈り取るもの」もやはり物語で現実を誤魔化そうとする少年の話だ。頭を金色に染めたヤンキーの朋生にとって、神は喧嘩で命を落とした猛治兄ぃなのである。他の何よりも身近な人の言葉を信じる十代の気持ちがよく書けた短篇で、この話は結末がいい。ちょっと落語の考え落ちみたいな感じなのである。木村は落ちになる場面を書くのが巧い作家になりそうな気がする。
また表題作の話に戻れば、主人公の駄目なところは恋人のリエからぶつけられたこの言葉に集約されている。
「孝一の、そうやって問題を難しく考えるふりをして、本当は大事なことから逃げようとしてるとこ、すごく嫌い」
そうなんだ。自分を正当化するのはとても楽なんだ。でもそれではうまく行かないことがいっぱいある、と作者は物語を通じて語り掛けてくる。そして、かっこ悪い自分を認めて、なんなら他人にも甘えるだけ甘えて、一歩だけ前に踏み出してみないか、と勧めてくれる。そのさりげない鼓舞を小説の形で書いた、とも言えるだろう。凛としたかっこよさはなくてぐにゃぐにゃしているんだけど、そこを素直に書いた点に私はとても好感を抱いたのである。