某月某日
二川駅から東海道の吉田宿本陣がある豊橋駅前まで歩く、というのが青春18きっぷ小旅行四日目の目的であった。途中だらだらと北西へ向かう国道一号線沿いに歩いていて、気づいたことがあった。
次の信号を右折して真っ直ぐ行くと、第一ブックセンターへの近道じゃないか。
そうなのである。豊橋市内には後二軒古本屋がある。一見の東光堂は残念ながら定休日であることを確認した。もう一軒の第一ブックセンターは、豊橋鉄道の終点である運動公園前近くにある。豊橋駅前まで歩いてしまってから、市電で行こうかと思っていたのだが、次の三ノ輪西交差点で右折して北東へ進み、東田仲の町付近で右折して南東に下れば、店の前に出る。わざわざ駅前まで行くこともないだろう。
そしてこのとき、私の中にはもう一つの計算があった。第一ブックセンターまで行って引き返してくると、だいたい往復で二時間。ここから歩いて本陣前まで三十分。ということは二時間半後にはゴールして、豊橋駅に向かえる。豊橋駅に四時ということである。ホテルにチェックインするなり銭湯を探すなりして休息してもいいが、午後七時半に地元K氏と落ち合うまで、三時間半もあるのだ。
もしかすると浜松まで行って帰って来られるのではないか。
そして、浜松の宿題店・古本と珈琲八月の鯨を訪問できるのではないか。
この時点で、私が訪れたことがない静岡県内の古本屋が三軒あった。一つは、伊豆城ヶ崎にある壺中天の本と珈琲、もう一つは浜松の古本と珈琲八月の鯨、同じく浜松の丸書房である。このうち丸書房は月のうち十日以降しか開いていないので、今日は論外。しかし八月の鯨には行けるはずである。公式ツイッターを見ると「今日はだいたい午後六時までの営業」とつぶやいている。よし、いける。
意を決して東海道を逸れ、歩き始まる。この三ノ輪西交差点の角には「まむし」と書かれた看板がある。初めて通ったときにはそうでもなかったが、今では完全に風化して廃屋の雰囲気だ。そこからぐんぐんと歩いて第一ブックセンターへ。豊橋鉄道の通る大きな道の向かい側に、たしかに店はあった。よし、開いている。
見ると翌日が定休なのであった。これはついている。
店内には、正方形の一方の角のような位置についている扉から入る。入って右側の辺からもう一方の辺までは見事なまでのゲームソフトエリアだ。新旧ゲームソフトと攻略本のたぐいが壁を作っている。その前に文庫や成人本を置いた棚が二本あり、中には絶版コミックや写真集などのコーナーもある。左辺は文庫などの雑本が中心で、その奥の壁の左側はやはりコミック、右側は歴史書を中心とした硬めの本のエリアとなっている。雑然としているように見えるが、絶版コミックには油断ならない値付けがしてあるし、詩歌などの文学書の品ぞろえもいい。むむむと見て回り、コバルト文庫で若桜木虔が書いた『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』のノヴェライズなどを発見。さっきのヤマザワヤ書店でも『宇宙戦士バルディオス』のノヴェライズを買ったことだし、今日はノヴェライズ祭りなのだ。
お勘定を済ませて店を出る。豊橋鉄道が通り過ぎるのを無視してひたすら歩き、元の三ノ輪西交差点へ。こういう時間はひたすら長く感じる。予定よりも三十分近く遅れて戻り、そこからは東海道を通って無事に吉田宿内に入った。吉田宿本陣前でこの日のノルマは終了である。
だが、ここでぐずぐずはしていられない。豊橋鉄道に乗ってJRの駅まで急ぎ、東海道線の上りホームへ。強風のためダイヤに乱れが生じているとのアナウンスがあり、若干遅れたが、無事に午後五時二十分ごろには浜松駅に着くことができた。
さあ、ここから八月の鯨へ急ぐのだ。歩いても行ける距離なのだが、暗くなってきたこともあり、まごまごしていると店が閉まってしまうかもしれない。ここは奮発してタクシーである。駅前で車に乗り、住所を伝えて行ってもらう。あとで地図を見返してみたら、遠州鉄道八幡駅が最寄りの百寿堂から典昭堂に南下する道の、すぐそばに店はあるのだ。だったら以前来たときに立ち寄るべきだった、と後悔したが、今さら仕方ない。
「ああ、ここですねえ」
運転手さんが車を停める。
「ここですか、どれ」
車窓から左を見る。たしかに「八月の鯨」の文字が。しかし無情なことに「準備中」になっている。えええ、午後六時閉店だと思っていたのに。時計を見ると五時半を少し過ぎたくらいであった。早じまいしてしまったのだろうか。
是非もない。営業時間の伸び縮みは古本屋にはよくあることである。これはきっと、もっと余裕のあるときに来て、八月の鯨でゆっくりコーヒーでも飲みなさいという天のお告げであろう。
「運転手さん」
「はい」
「駅に引き返してください」
妙な顔をしていたが、黙って車を発進させ、そのまま浜松駅まで戻ってくれたのであった。
そこから一時間かけて、また豊橋駅へ。青春18きっぷは便利だなあ。もういい加減時間もなくなっていたのだが、念のため駅前のブックオフにも寄る。と、そこで思わぬ拾い物があった。元大相撲力士・荒瀬の『荒瀬のうっちゃり放談』(池田書店)だ。100円棚に刺さっていたのをありがたく頂戴する。わざわざ浜松まで往復して坊主だったのを古本の神様が憐れんで恵んでくださったのであろう。ブックオフにも寄るものである。
このあと宿に荷物を投げ入れて、Kさん一行と合流し痛飲した。その日の宿があまりに安かったのでどんなものだろうと思っていたのだが、停まって見ると近頃では珍しいほどの昭和臭で、昔懐かしい商人宿の香りさえ漂っていたのであった。清潔であればそれでいいのである。いっそのこと、畳敷きにせんべい布団ならばなおよかった。(つづく)