某月某日
雑司ヶ谷の鬼子母神通りで開催されるみちくさ市にまた参加してきた。
ここでは一箱古本市が行われ、個人で出店できるようになっている。2019年初めのみちくさ市ということで頑張って駆け付けたが、いつもよりも人は少なめであった。寒いからね。無理もない。
過去数回とは道の反対側に場所を貰い、周囲の方に挨拶をしてお店を開く。いつも開店直後にやってくる古本趣味がこじれた人たちも今日はお休みである。寒いからね。
昼過ぎになって、若林踏氏が手伝いに来てくれた。
「いつもと違う側にいるから、わかりませんでしたよ。どうしたんですか、こんな寒い場所で」
「私が選んだわけじゃなくて、割り当てなんだってば。いや、そういえば申し込むときに、道のあっち側は直射日光が当たって暑いから、反対側にしようと思って頼んだ記憶がおぼろげにある」
「夏に暑いところ選んで、冬に寒いところを選んでるじゃないですか」
「風流ってものじゃないか」
昔、痔を患ったことがあるのだが、そのときに編集のTさんから貰ったドーナツ型座布団を持参していた。地面に直座りするとお尻から風邪を引きそうだ。
古本屋ツアー・イン・ジャパンの小山さんもフォニャルフの屋号で出ておられる。ご挨拶に行くと「講談もご興味はおありですか」と鞄の中から本を出してくる。私が来ると思って持ってきてくださったのだ。これが見たことのない本で、たぶん個人出版のものだと思う。
むむむ。こ、これいくらですか。
聞けば、こちらのつけた値段でいいと言ってくださる。逆に難しいもので、この本は自分が見つけたらいくらで買うだろう、しかし講談に関心のないはずの小山さんはいくらで買われただろう、損をさせてしまっては申し訳ない、と頭の中で考えがぐるぐる回る。結局ある値段を言って頂戴したのだが、適正であったかは今でも自信がない。そのあと、もしかしたら小山さんは怒っているのではないだろうか、とお店の前を通るたびに顔色を窺ってしまった。そして顔色を窺いすぎて、もう一冊フォニャルフで買い物をしてしまうのである。
みちくさ市は午後四時に終わる。午後五時からは池袋某所で「ミステリちゃん」の収録である。まっすぐ向かえばもちろん余裕である。
「さあ、まっすぐ向かうよ。若林くんがいくら古書往来座に寄りたくても、そんな時間はないからね」
「あのね。杉江さんがそう言い出すだろうと思ったから、僕はさっき来るときに往来座に行ってきました。だから今は別に往来座には行きたくありません」
「なんで一人だけ勝手に行くのかね」
「だって、絶対に僕をだしにして往来座に行こうって言い出すじゃないですか」
「一日に二回も往来座に行こうなんて、君はどうかしてるよ」
「二回も行くなんて言ってないでしょう、僕は」
「そんなに言うなら仕方ない。ちょっと覗くだけだからな。時間がないんだから。本当に君は古本屋に行きたがるなあ」
「どうかしてるよ」
というようなやりとりがあり、やむをえず往来座に立ち寄る。本当に時間がないので、店頭の均一棚と、藤原審爾が新しく入っているかもしれないので作家別の「ふ」の棚と、帳場前の新入荷の棚だけ。
そう思って店に入った途端、とんでもないものを見つけてしまった。
立川談志『東京横浜夜をたのしむ店』(有紀書房)。
談志が最初に出した本は1965年の『あらイヤ~ンないと』で、版元は同じ有紀書房である。その後に三一書房から『現代落語論』が上梓される。世間的な認知としては、それがデビュー作ということになっているはずだ。『東京横浜夜をたのしむ店』はその翌年に出た本で、直後に『笑点』も出ている。談志著書の中では『まんが学校』と並んで見ない本だと思う。値段は四桁だったが、これは迷わず購入する。
いやあ、若林さんが古書往来座に行くと言い張ったおかげでえらいものを拾いました。
店を出てからもしばらく興奮が続き、もうこのまま池袋駅から帰ってしまおうかと思ったが、それでは何をしに来たかわからない。無事にミステリちゃんの収録を終える。
あとで読んでみたが、『東京横浜夜をたのしむ店』は一文字たりとも談志は書いていないと思う。これは題名通り夜のプレイガイドなのだ。盛り場ごとに置屋の芸者の顔写真が掲載されているし、当時の名称でいうところのトルコについて、どの店のサービスがよくてスペシャルがいくらか、なんて情報まで載っている。絶対ゴーストが書いたな。忙しい談志にそんな風俗取材の余裕があるわけないのである。珍本であり、風俗史の記録のためにはまたとない資料となった。いやあ、若林さまさまである。