某月某日
池袋某所にて、川出正樹さんと翻訳ミステリーのレビュー番組「翻訳メ~ン」の収録に臨んだ。そのあとでちょっと時間が空いたもので、時間潰しがてら池袋駅西口から椎名町方面に向けてぶらぶらと歩きだした。3月から大阪に移転するという古書ますく堂さんを訪ねるためである。
古書ますく堂さんに初めてお会いしたのは、たぶん西荻窪にあったころの北尾トロさんの事務所だったのではないかという気がする。あるいは、その忘年会か。しばらく前から私は雑司ヶ谷のみちくさ市に出店しているが、そこにもよく顔を出されていた。ますく堂さんが移転することになった経緯は古本屋ツアー・イン・ジャパンに詳しいので、そちらをご参照いただきたい。池袋内で二度の移転をしているが、私は最初と三番目のお店には行ったことがあり、二番目のときは縁がなくて伺えなかった。聞けば大阪では阿倍野区に開店されるらしい。大阪には浪曲などで行く機会もあるので、そのときにはぜひ足を運ぶことにしたい。
とことこ歩いていったが、ますく堂さんの灯りは消えていた。これが都内では最後の機会だと思うので残念である。これは大阪でお会いしましょうということだろう。お元気で。
池袋駅に戻り、上野駅経由で田原町・日本浪曲協会へ。この日は浪曲師・東家一太郎の勉強会である、雷門会があるのだ。今年で七年目となるこの会、来年度も継続予定である。
散髪してちょっと精悍な感じになった一太郎は、開口一番で今年はいろいろなことに挑戦して芸域を広げていくと宣言された。その言葉通り、演目も興味深いものだった。
野狐三次 音羽屋格子 曲師・馬越ノリ子
浪曲番外地 雪の網走 曲師・東家美
前者は野狐三次シリーズの前半部で、上方に発ったきり消息のわからない義父・磯五郎を捜しに大坂へ向かった三次が、途中大井川の渡しで尾上菊五郎の窮地を救う。その縁で、大坂で菊五郎から芝居見物に招待され、後に妻となるお糸と巡り会うのである。当時の芝居見物の様子などがわかって興味深い。
もう一席の雪の網走は、師匠である東家浦太郎が若手でまだ太田英夫を名乗っていたとき、ヤング浪曲と題したレコードの収録で、初めて伊丹秀俊に三味線を弾いてもらった記念すべき作品なのだという。英夫はこれを、浅草国際劇場の舞台で演じたことがあるが、袴をつけず着流しで、演台を置かずにやった。スポットライトに照らされた舞台に英夫が現れると、まずは、おひけえなすって、と仁義を切ってから話に入るという趣向だ。一太郎もそれに則り、仁義から始まった。内容は世話になった恩人のため網走刑務所に入った男が、出所して再び因縁の地である小樽を訪れ、宿命の再会を果たすというもの。任侠映画全盛期の趣きある一席だった。
二席とも珍しく、よいものを聴けた一夜となった。