4月18日
本に関するアンケート、昨日聞いたのは「書店の棚の好み」だった。
毎回アンケートありがとうございます。書店によって棚には個性が出ますが、同じ規模ならどういうタイプのお店が好みですか。コメントもいただけると幸いです。不可の方を除き、引用に使わせてもらう場合がありますので、ご了解ください。
— 杉江松恋@秋季例大祭に向けて気持ちを切り替えました。 (@from41tohomania) April 17, 2020
「刊行が新しい本がわかりやすい」22.6%
「その書店の押している本がわかりやすい」27.7%
「本のジャンルが細かく分類されている」42.9%
「話題の本が多くて確実に買える」6.8%
投票数は177である。
これは自分の好みを先に書いてしまうと、「刊行が新しい本がわかりやすい」一択なのであった。書評を仕事にしているためでもあり、取り上げられるくらい新しいか否か、が本を手にする上での最優先する基準になっている。以前西新宿五丁目のあたりにあった書店はその意味で理想的で、新刊棚に「何月何日到着」という仕切りがあって、どれがいちばん新しいかが時系列でわかるようになっていた。あの棚は本当にすばらしかった。店内にはやたらとニューエイジとかスピリチュアルの本が置いてあってその点はくそくらえと思っていたが、あの棚だけは本当によかった。すべての書店がこうなればいいのに、と願っている。もちろんこれはわがままだが。
だから「押し本」の主張が激しすぎる書店は、実は苦手である。特に困るのが、新刊と押し本をごっちゃにして置いてある棚で、やるなら別の場所でやってもらいたいと強く願う。新刊と押しは別に。であればまったく文句はないのだ。
この選択肢四つで次点を選ぶと、「本のジャンルが細かく分類されている」だろうか。これは単純に、棚を見ていて楽しいからだ。見ているうちに意外な本を発見する喜びがある。このコロナ禍で緊急事態宣言が出る前に窯で有名な益子に行った。陶器などの美術書品揃えが素晴らしい添谷書店という本屋があるのだが、そこの棚が絶品であった。大きな壁の反面が趣味関係の書棚になっていて、絶妙のグラデーションで本が並べられている。なぜか昼飲みの本がまとまっているコーナーがあったりして、ついつい要らない本まで買ってしまいそうになるのであった。
古本屋では大ファンの静岡・あべの古書店がいい。郷土本のコーナーに当然のように清水次郎長をはじめとする侠客伝の一画があったりするセンスの良さはぜひ実地でご覧いただきたいのだが、ご自身も演劇をやっておられるだけあって、見られる者の矜持というか、観客への目くばせのようなものを感じる棚で、毎回感心させられる。ああ、こんなことを書いていたら行きたくなってしまったではないか。
コメントの引用をいくつか。
飯島世梨@寒中お見舞い申し上げますさん「細かく分類に1票。新刊があっという間に既刊になる刊行ペースでは、昨日の新刊が今日の新刊に追いやられ棚替わり。ここに置いてた本はどこに? を訊くのも申し訳なくて、散策を兼ねて店内を自分で探します。店内探検好きなこともあり、分類のクセなど把握しながら見つけるのも楽しみのひとつです」
自粛生活11日目。
毎日家にいるとたいした変化もないような気がするのだが、それでも何かは起きる。一昨日は通信販売で買ったこたつが到着して、その入れ替えをした。家具調こたつで長方形のものがずっとあったのだが、脚の根元が壊れてしまい、ここしばらくは修理しておそるおそる使っていた。さすがに限界だということで、正方形のものに買い替えたのである。
一昨日、昨日と食卓を囲んでみると、なぜか豪華に感じる。面積が少なくなったので食器を置いたあとの余白が亡くなって、皿数が多く見えるからだろう。あと、長辺の分距離があったのも、お互いの距離が近くなった。新鮮に感じる。
要らなくなったこたつを引き取ってもらうべく、区の清掃事務所に電話をしたが、なかなかつながらない。みんな家にいるので考えていることは同じで、模様替えでもしているのだろうか。ついでなのでしばらく前からベランダで放置してあるブルーシートも持っていってもらうことにした。ブルーシートなんですけど、と切り出すと、ぐるぐる巻きにして小さくならないんですか、と聞かれる。
「ええ、ならないんです。結構大きくて、たしか粗大ごみの対象だったんじゃないかと思うんですが」
区民としての公共精神を忘れない、偉い私である。
「では、どのくらいの長さかおっしゃってください」
「ええと長辺が5メートルくらいで」
「そうではなくて、ぐるぐる巻きにしたときの長さです」
そういうことか。縦が50センチで直径はだいたい30センチです、と答えると係の女性は重々しく、では、300円です、と答えるのであった。
巻き方で値段が変わるのだろうか。もし縦が1メートル、直径15センチになる巻き方をしていたらいくらになったのだろうと電話を切ってから考えた。