杉江松恋不善閑居 自粛生活12日目「書店でもらったしおりを使ってますか」

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これはたまたま机の上にあった古い落語会のパンフだが、こういうものもしおりとして我が家では活用されている。

4月19日

本についてのアンケートを毎日ツイッターでお願いしている。昨日のお題は「書店でくれるしおりを使っているか」だった。総回答数は570である。

「買った本に限り使っている」36%

「その後も別の本で使っている」29.1%

「他にしおりがない場合使っている」21.6%

「しおりを使わない」13.3%

「無条件に他のしおりを使っている」という選択肢がないのはなぜか、というお訊ねをいただいたのだが、書店がサービスでくれるものを使うかどうか、ということが知りたかったのでこういう四択なのであった。金正恩さん、すみません。たしかに最初から他のしおりを使うという方がいておかしくないので、偏った聞き方といえばその通りである。

で、買った本に限り使っているという方が多かったのは、本に付随するサービスとしては妥当な答えだという気がする。Lenoaさん「買った本が一冊の場合は、その本を読む際には使っています。読み終わったら最初のページに挟んで、また読むときに使っています」というのは素敵な回答だと思った。つまりそのしおりが本専属になるということだ。再読を前提としたしおりと本の関係というのはいいではないか。

もらったしおりに限らず、なんでもいいから本に挟まっているもので代用している、という方も多かった。たとえば、レシートや新刊案内など、後は帯派も。後述するが、私も帯をしおりとして使う癖がある。

使わない派のお答えで多かったのはやはり、すでに専用のものをお持ちというものだった。スピンつきのブックカバーも結構お持ちなのである。Pon!本多さんの「「スワン型」を使い回しているので、出版社のも書店のもまず使いません。事典、図鑑等に流用してます」というご回答でスワンとはなんぞや、漕ぐやつかしら、と思ったがそういう商品があるのである。電車で読む際などに便利なのだとか。

その他、しおり自体を使わないという方もけっこういらっしゃった。どこまで読んだかは覚えているので使わないと。調べないでおぼろげな記憶に頼って書くが、たしか丸山眞男が、しおりに頼るような読書では駄目で、ちゃんとどこまで読んだかを記憶してページを閉じないとその本は自分の身にならないのだ、というようなことを書いていたと思う。それを高校時代の同級生が受け売りしていたが、自分で実践できていたかどうかは不明である。

別にどこまで読んだか覚えられないからしおりを使うのではなくて、私は「両手を使って本を読む」ので、しおりというかページに挟むものが二つ必要だ。つまり両手で本を持ち、読んだのと同じページ数を巻末からもう一方の手で繰っていくのである。当然本の真ん中で両手は合流する。そうなったらそこからまた同じことをくりかえしていき、だんだん右手と左手で挟まれているページ数が少なくなっていくと、なんとなく読んだ、という実感が湧いてくる。何歳ぐらいからかわからないが、もうずっとやっている癖なので、紙の本を読んでいる限りはこれは改まらないと思う。前後に一つずつ挟むものが必要になるので、帯をしおりとして使うわけだ。帯がない本の場合は前後に一枚ずつ紙を挟む。しおりがなければそこらにあるものを適当になんでも挟む。これは単なる癖なので、読書をする上でいいことは一つもないと思う。細かく言うともっと指を駆使するので紙はもっと必要になり、三枚挟まっているときもあるのだが、これ以上説明しても得るものは皆無だと思うのでやめておく。二枚でどうだ、いえ、三枚でお願いします、と答えることもあると覚えていただきたい。

いくつかコメントを引用。

円堂都司昭@『ディストピア・フィクション論』さん「文庫・新書用、単行本用のしおりをそれぞれ数枚ずつ机の手元にストックしている。複数の文献にあたりながら原稿を書くことが多いため、参照必要部分に片っ端から挟んで近くに積む。しおりの紙が固く厚いほど、ページを開きやすいのでよい」

お!まさよさん「(書店員ですが)当店では、積極的にしおりを配ることはしていませんが、レジ前に置いておくと、物すごくなくなります。 ワタシは買ったときに貰ったレシートを縦に半分に折ってしおりにするのが好き。柔らかくて丁度良い」

さつこさん「自分は基本的に本屋さんでもらったしおりを使います。大抵は買うときに冊数分もらえるのですが、もらえないこともあるので数枚筆箱にストックしています。しおりひもがついている場合はひもを使います。手持ちがない時は帯を使いますが、印刷によっては本に色が移るので困ります」

自粛生活12日目。

よんどころない理由で表に出たら、マスクをしていない人が異常に多くてびっくりした。前に欧米の方に多いと書いたがとんでもない、地元民と見られる人も全然していない。大丈夫かしらん。中でも怖いのはジョギングしている人で、マスクをしていると苦しいだろうから外すのかもしれないが、歩道ではあはあ息をしている人が前からやって来ると怖いものがある。2メートルの距離で3回ぐらい言葉のやりとりをすると濃厚接触なのかな。すれ違うのだから接触は一瞬だが、その間相手はずっとはあはあ言っているわけだからねえ。

相変わらず日銭仕事と少し先のことを並行してやっていて、実は普段よりも少し忙しいくらいである。そういう中でも暇な時間は作れるわけで、東陽片岡先生の素晴らしい漫画をちびちび読んでいる。東陽片岡先生は四谷三丁目で秋田ぶるうすというスナックを経営しておられるはずであるが、このご時世であるからやむをえず休業された由である。せっかくなのでこのお時間を使って原稿を書き下ろし、新しい単行本を出していただけないであろうか。たまらん。

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