4月25日
本に関するアンケート、昨日のお題は「寝る前に読む本は何ですか」だった。総回答数は368。
連日のアンケートで失礼します。本日は就眠儀式としての読書について。寝る前に読む、と決めている本はありますか。コメントもいただけると幸いです。いただいたコメントは不可の方を除き引用する場合がありますのでご両相ください。
— 杉江松恋@秋季例大祭に向けて気持ちを切り替えました。 (@from41tohomania) April 24, 2020
「寝る前に読む本を決めて少しずつ読んでいる」17.1%
「そのとき読んでいる本を就眠前にも続けて読む」58.2%
「寝る前には特定の何冊かを繰り返し読んでいる」2.7%
「就眠前には本を読まないことにしている」22%
就眠儀式として読む本はおもしろすぎず、眠気を催すものがいいとよく言われる。eippoezさんが「軽めのエッセイや、簡単な詰碁・詰将棋の本は早めに眠気がやってきますね」とおっしゃっているが、自分には碁や将棋のたしなみがないので、それが本当に睡魔を招くものなのか、それとも目が冴えてしまうのかは判断ができない。
千野帽子5/3東京マッハvol.25「晩春の地上の君の部屋で会おう」配信さん「以前は、寝る前はストーリーのあるものを読むと目が冴えてよくないので、内田百閒や吉田健一の随筆を読んでいました。最近は、岩波少年文庫や福音館文庫などの翻訳児童文学だったら、寝る前に読んでも大丈夫になってきました」をはじめ幾人かの方が随筆を読むと回答されている。長すぎず、どこで読み終えてもいい随筆集はたしかに寝る前の読書向きではないかという気もする。ここでたとえば壇一雄『美味放浪記』みたいな美食随筆を読んでしまうと夜半にたまらず腹が減り、がばっと跳ね起きて予定外の晩餐を始めてしまう危険がなきにしもあらずであるが、内容について深く考えず、文章のリズムだけに身を任せて読むのであれば、それもいいのではないだろうか。
以前私は、旅先に山口瞳〈男性自身〉シリーズを持っていって、それを拾い読みするということをよくしていた。出典は忘れたのだが、山口は随筆を書く際に何行かで一つの話題が終わるようにしていると書いている。短い文章の連なりで〈男性自身〉はできているので、ふい、と読み終えるのにいいのである。
最も多かったお答えが「そのとき読んでいる本を就眠前にも続けて読む」であった。半数以上の方がこれ。ただ、読んでいるうちにおもしろくなって止まらなくなるという危険があるわけで、こまいぬさん「その時読んでいる本を選択しました。数冊並行して読むので、その中から寝る前の気分で読みます。部屋の明かりをタイマーで消すので、消えた後も眠れないときは、電子書籍を読むかTwitterをながめます」のように消灯などで無理矢理にでも中断したほうがいいのではないか。
その本を続けて読むわけではないが、出渕平吉さん「本を閉じたところまでの内容をフトンの中でじわじわ反芻する習慣です。で、「あの人物は何故あんな行動をしたんだっけか」と再び起き出してページを繰り直すから眠気が吹っ飛んでしまうこともあります」の、内容をじわじわ反復というのはいい読み方だと思う。反復というか反芻というか、よい本であれば何度も繰り返し玩味したい。
読まない、という意見も予想より多かった。鈴木千恵子(千恵ちゃん)さん「いったん読んだら寝れなくなるので読みません。読みふけるので!」、傍見頼路さん「就寝前に本を読みはじめる、なかなか止めれなくなって睡眠不足になるのて、就寝前には本は読まないことにしています」ほか同様のお答えが複数あり、いずれもごもっともと思ったのである。
私はちなみに、最も回答数の少なかった「同じ本を繰り返し読む」派だ。その本を読むこと自体が就眠儀式になっていて、何を読むかは定期的に代わる。しばらく前は上に書いたとおり山口瞳であった。最近は東陽片岡先生の漫画を繰り返し繰り返し何度も読んでいる。東陽片岡先生の絵柄を見ただけで眠気を催すようになるのではないか。これは、仕事で読書をしているためでもあり、読みかけの本というのは必ず最後まで内容を確認しないではおけないので、途中で眠くならないように気をつけているのである。眠る直前まで本を読んでいたいが、さりとて本を読んでいるときに眠りたくはない。そうなると、眠りにさしかかる時間の読書は他と分ける必要がある、ということでこういう様式にたどりついたのだ。
自粛生活18日目。
数日前に遅れに遅れた「水道橋博士のメルマ旬報」の原稿を送ったのだが、それ以来はずみがついて、「水曜どうでしょう」を観たい熱が高まっている。なんべんも書いたので繰り返さないが、日常があるということのありがたさを再確認するためには、「どうでしょう」のようなぐだぐだなものがいいと思う。最初から最後までいかないといけない物語は、ちょっと読み通すのが辛いということもある。途中をつまみ食いして、ここはおもしろいなあ、変なことを言っているなあ、と楽しむ読書というのが、こういう先の見えない軟禁生活ではいいのではないか。漫画はこういうときにありがたい。ページのどこを開いても絵で楽しませてくれるからだ。京極夏彦小説はその意味で漫画的で、拾い読みには本当に適している。分厚い作品も多いが、全部読み返す必要はなくて、ぽんと開いたところに目を通して、相変わらず気難しい人ばかり出てくる小説だなあ、とか感心していればあれはいいのである。