杉江松恋不善閑居 自粛生活33日目「本は家のどこに置いてありますか」

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
玉袋筋太郎のプロレスラーと飲ろうぜ

今回の書評ではとりあげそこなった本。いい本なので読んで。

5月10日

本に関するアンケート、今回は自宅内の本の置き場について。回答数は349だった。

「本は自室など決まった部屋だけに置いている」49%

「決まった場所はあるが廊下に溢れてしまっている」18.6%

「台所などの本があってはいけない場所にも溢れている」10.9%

「家じゅう置ける場所にはすべて本が置いてある」21.5%

約半数が自室などの決まった場所にのみ本を置いているという回答だった。これが普通だと思うのだが「廊下には溢れている」「共用スペースにも」「家じゅうに本が」と段階を踏んで度合いが増していくわけである。自室だけ派の次が置ける場所にはすべて派だったというのは何を意味しているのだろうか。おそらくは自室に留めるようにしているのが原点で、エントロピーが増大していくと家じゅうすべてという結果になるのだと思われる。廊下派や共用スペース派はその過渡期であり、いずれはエントロピー様に太刀打ちできずに家全体が本に呑み込まれることになる。その前に引っ越しなどのイベントが来て、また原点に戻されたりするのだろうが。

自室だけ派のご回答をいくつか。みさん「寝室の押し入れ(カビた)→陽当たり良好な居間(やけた)→温度と湿度を管理した書庫に収め布で覆った(本が見えん)と引越のたびに本の置き場を変えてみて、結局、自室に落ち着きました」は本の品質管理から現在の形に行きつき、酒井貞道さん「手近に数冊置き、他は全て一室にまとめています。地震の際に命にかかわるため、書籍の保管は、人が常駐しない部屋にまとめるようにしています。ワンルーム一人暮らしの時期も、棚が寝床や椅子に倒れ込んで来ない配置を徹底していました」は、地震を経てより管理を厳しくしているタイプ。ひとみさん「一応置き場所は決まっていて、読んでいる本は自室、積読と読了後も保管する本は別室、売却する本は段ボールに入れて玄関付近に置いています」はルール化によって均衡を保たれている。阿羅礼さん「読みたい本は手元に置きたいタイプなので増えていく一方です。自分の部屋の押し入れ潰して本棚設置したのですがそれでももう無理。ダンナ部屋の本をどうにかして減らして場所を作らねばと日々考えております」はぜひご夫婦間の外交交渉によって国際平和を保っていただきたい。

エントロピー増大が進んでいる場合は、廊下だけで収まることがむしろ少なく、家じゅうに遍く浸食が進んでいくほうが多いようである。壹岐真也さん「本棚に入りきらなくなって、部屋の床、廊下、ベッド端、スピーカー上、トイレ…。どんどん平積みがヒドイ状態に…そのうち、なんとかするつもりなんです」、春生カンナさん「うーむ。台所には料理本とか料理エッセーとかあるんですけど、置いてはいけない場所なんですかね。「きのう何食べた」とか、檀一雄のエッセーとか、一条ゆかりのダイエット&料理漫画とか…」、かえるちゃんさん「水回りのヤバイ!というところ以外には置いてあります。トイレもヤバイので、置いてありません。が、玄関にはあります。あちこちにあって、探している本がなかなか見つからないのが難点です」

そう、本の置き場が増えると、それだけ行方不明になるものも多くなるのである。そして探すのが面倒になって同じものを買うことに慣れてしまい、ますます増殖の速度が進んでいく。エントロピー様の思うつぼだ。

拙宅はさきほどまで家具屋さんが来ていたので、はみ出ていた本が15箱に収まって今のところは仮の平衡状態を保っている。しかし、これを解放した途端にエントロピーは再び増大するであろう。山の荒神を封印した神主の気分で今箱の山を眺めている。

自粛生活33日目。

「水道橋博士のメルマ旬報」の原稿を書こうと思って昼過ぎから始めたら、思いのほか筆が乗って夕方までかかってしまう。分量も、当初考えていたののほぼ倍になってしまった。

文章を書くとき、だいたいは頭の中で全体像みたいなものができていて、設計図こそ作らないものの書くことの順番が漠然と決まったところで、さて、とパソコンに向かうことが多い。たとえば今回はメインの本を1冊、サブで2冊のつもりだったのだが、メインのほうの話題とサブを組み合わせるあたりで予定が狂ったのである。当初はほぞつぎみたいにして、文章と文章がすきまなくつながって、それこそ釘も打たずにいいようにすっと次の話題に流れる予定だったのが、書いているうちにそういうわけにはいかなくなった。仕方がないので、もっと乱暴なつなぎ目にしてみたらうまくいった。だがそうなると全体の感じも、ほぞつぎでちゃんとしている古民家みたいな感じではなく、ログハウスみたいにごつごつした見てくれのほうがよくなる。というわけで最初に戻って外面を変えて、とやっているうちに長くなってしまったのだ。この間、書こうとした内容とその順番はほとんど変わっていない。

何を書くかは、材料集めが七割、それをどう配置するかが二割で、残りの一割が文章化の技巧だと思う。その一割がぐずぐずと長引くことが多いのが困ったものだ。

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存