5月22日
緊急事態宣言解除が見えてきて、そろそろこの本に関するアンケートも秒読みに入りつつある。今回のお題は、どんなメディアの書評を参考にしているか。回答数は149である。
毎日アンケート恐れ入ります。今日は書評について。ご自分でいちばん参考にすることが多いメディアの書評を教えてください。コメントもいただけると幸いですが、不可の方以外は引用する場合がありますのでご了承ください。よろしくお願いします。
— 杉江松恋@秋季例大祭に向けて気持ちを切り替えました。 (@from41tohomania) May 21, 2020
「新聞書評(ネットや書店のコーナー紹介含む)」26.2%
「一般週刊誌を含む雑誌書評(ネット転載を含む)」27.5%
「上記の転載分を除く、記名原稿のネット書評」32.9%
「読書メーターなどのアプリに投降された書評」13.4%
一昔前と状況がだいぶ変わったのは、各紙誌の書評がネットに転載されるようになったことだ。紙ではなくて電子メディアを見ている人が多くなってもしばらく書評が転載されず、しかるべきところに届いていないという隔靴掻痒の思いをしていた時期があった。そのころに比べればだいぶ改善されていると思う。ツイッターで取ったアンケートなのだから当然だが、新聞や雑誌からの転載を除いたもの、つまりネットを主戦場として発表された書評に支持が集まった。これ、新聞や週刊誌をネット転載含むとしていなかったら、もっと偏っていたのではないかと思う。あ、そもそも、前回、前々回の結果からして雑誌購読者が減っている現状があるわけだが。あまりこのへんをほじくっていくと、雑誌に書評を乗せてもらっている身としては自らの首を絞めることになりそうである。
カルロス矢吹@「のんびりイビサ」手売り中さん「新聞の書評欄ももちろん読みますが、なんとなく雑誌で読んだ書評の方が結果的に購入に結びついているものが多い気がします」だけではなく、新聞よりも雑誌、という声のほうが多かったように思う。これはなんでだろう。理由はよくわからないのだが、たぶん私のアンケートなので小説読者の方が回答してくださっているためではないだろうか。新聞の文化欄にはもっと広いジャンルの書評が載るわけである。ご回答いただいた中には、この書評家、ということで信用買いしているというご意見も多かった。私の名前も出してくださって、感謝します。
また、書評を先に読まない、という声も。先入観なく本を読むためということだ。これも読書の楽しみ方だと思う。願わくば、かえるちゃんさん「内容は本そのもので最初に触れたいので書評は先には読まないようにしていますが、どうしても悩む時は、書店、出版社、雑誌のネット記事などから参考にします。読了後は、なにか釈然としない時はあちこちの書評や感想を探しまくったりします。気に入ったら囀りまくります」がおっしゃるような答え合わせや、感想の反芻のためのツールとしても使える書評でありますように。
書評の機能第一は「読みたい気にさせる」ことだと思う。これは職業として書いている身からすれば絶対条件だ。高橋弥生さん「雑誌も新聞も読む習慣がないので、それ以外でネットで読めるものを読みます。頻度はそれ程多くないですが、馴染みのないジャンルや作家の本を読むかどうかの参考にします」、そう、未知の世界への道標になれるかどうかが大事なのだ。
今回のアンケートは「ではどんな書評がいいのか」という質問とセットなのだが、そちらで私の理想については書こうと思う。ご存じ、豊崎由美さんの『ニッポンの書評』という優れた研究書があるので、未読の方はぜひお試しいただきたい。
自粛生活45日目。
えいやっと踏ん張ってわりと体力が必要な原稿を4本書く。ここのところこまめに血糖値を計っているのだが、書き終わってみたら低血糖すれすれになっていた。脳が働いた証拠である。ちょっとだけビールを飲んだら頭がぐらんぐらんしてきてそのまま寝てしまう。
幻冬舎の件、週刊文春が報じたのはあれが主ではなくて、取材の過程で判明した副産物だったのだと思う。だからあまり大きな反応がないのかもしれないが、このまま不問に付してしまうのは会社のためにもよくない。
昨年の文庫化取り止めの一件では、すでに決まっていたはずの出版を反故にしたことが問題だったが、それについては有耶無耶になり、なぜか見城徹社長の失言がいかんという話にすり替わってしまった。あそこで総括すべきだったのに、千載一遇の機会を失したのである。
今回の一件は、本にするために取材して書き上げた原稿が没にされた原因が、内容が未熟だったのか、裏事情があったのかで判断が分かれる。だが、内容が不備なのであれば品質が上がるまで書き直させればいいのであって、そこまでの労力を無にしていいわけではない。事情があって本が出せなくなったのであればもちろん執筆者の責任ではない。いずれの場合も、取材・執筆に発生する対価を編集者が軽視していることが問題なのである。それがまず駄目なのに、加えて女性の執筆者に対して強い立場の男性編集者が性的な執着を示したという厭らしいことがある。前者は出版社の体質、後者は編集者の個人的な資質の問題で、切り分けてそれぞれについて改善すべきだと思う。
すでに小田嶋隆さんが書かれているように、私も含めて50代以上の出版関係者男性は、現在とは比べものにならないほど楽なところから出発している。それだけに意識の立ち遅れもあるはずで、こうしたことが明るみに出たときは、絶対に他人事と考えてはいけないと思っている。困難な状況を切り拓いている下の世代、特に女性にとっては、いるだけで邪魔な存在なのかもしれないのだから。
最近の日課、眠る前にちょっとずつ電子書籍されていた田山幸憲『パチプロ日記』を読んでいる。パチンコは別に好きではないが、田山プロの文章が好きなのだ。「シメシメルック」とか「ここからが鬼の住家」とか読んでいるうちにすっと眠気が襲ってくる。上に書いたばかりであれなのだけど、幻冬舎アウトロー文庫にも田山さんの文章は入っている。『パチプロけもの道』もいい本ですよ。