某月某日
四連休が始まったのだが、この間にいくつか原稿を書かなければならないし、二次創作も進める必要がある。特に暇というわけではない。ただ忙中閑ありということで、やることをいくつか片づけたら少し余裕ができたので、演芸に行くことにした。『東京かわら版』を見ると、東武練馬の徳丸三凱亭で立川吉幸と立川左平次の二人会が開かれるという。これだな。
しばらく電車に乗って駅で降りる。不思議なことに、東武練馬じゃなくて一つ手前の上板橋で下車してしまっていた。駄目だなあ、これじゃいつもニコニコ楽しい林屋書店に行くしかないじゃないか。
商店街を抜けていくと二、三分のところに林屋書店はある。日本の古本屋マークが入った緑の看板がすがすがしい。店頭には複数の均一台がびっしりと。そして側面の壁一つを埋め尽くすようにやはり均一棚が。この眺め、この眺め。中に入ると櫛形に棚が並べられている。まずは帳場近くの歴史書などが置かれている棚を見る。その裏は文庫やマンガが主なのだが、古典芸能だけを集めたファン垂涎のコーナーがあるのだ。この店の特徴はとにかく値付けが安いこと。他店で見送った本でも、ここに来ると手を出しやすい価格で置かれている。実にありがたい。安くたくさん売って、どんどん本が回転していきますように。岡本和明『俺の喉は一声千両 天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』(新潮社)が安い。なんとなく買い逃していたが基本図書なのでこの機会に持っておくことにする。もう一冊は美濃瓢吉『浅草木馬館日記』(筑摩書房)である。木馬館に十年住み込んで働きながら絵の修業をした人で、木馬亭女将の故・根岸京子さんのことも出てくる。これは絶対に必要な本。
二冊で税込み千三百二十円は絶対に安い。本棚を見ている間に中年のご婦人が来ていたと思うが、帳場に何やら話しかけていた。勘定をするために行ってみると、ほんのりとフライドポテトっぽい匂いがする。さては芋のお裾分けに来ていたのか。お金を支払い、外へ。
一駅乗って東武練馬は徳丸三凱亭へ。何度も来ているので目をつぶっていても歩ける道だ。車に轢かれるけど。客席は八、九割の入りというところでほぼ満席である。亭主が出てきて口上のあとで開演する。
目黒のさんま 立川吉幸
ぞろぞろ 立川左平次
仲入り
真田小僧 立川吉幸
居残り佐平次 立川左平次
最初に出てきた吉幸さんは最近の定番としてコロナウイルスの話を始める。落語芸術協会の前座は密を避けるために今強制的に何人か楽屋を休ませられているのだとか。仕方ないことだが、なんとそのために楽屋修業が足らないとして前座期間が延びるかもしれないという話になっているそうだ。
「五キロとか十キロ走ればいいと思って全力疾走したあとにもう三キロ走らなきゃいけないと言われるわけですからこれは辛いですよ」
と吉幸さん。観客全員の脳裏にある言葉が浮かぶ。それを見透かしたかのように、
「私もあと三年遅かったらたいへんなことに。おそらく死んでましたよ」
ドッカンと受ける。詳しくは各自調査いただきたいが、吉幸さんは師匠・談幸さんが立川流から落語芸術協会に移籍した際、他の者と同じ釜の飯を食って苦労を共にさせるということで、一旦二ツ目から前座に降格した時期があったのだ。その後は無事に二ツ目に戻り、真打にも昇進した。
枕でおもしろかったのは左平次さんのときで、今のこの会は男性のお客がほとんどだが、昔は半分くらい女性客だった。だんだん減ってっちゃう。なんでかというと吉幸兄さんが全部口説こうとするからで。
とそこまで話したところで楽屋との仕切りがさっと開いて吉幸さんが姿を現し、
「うるさいよ」
ぴしゃりと言って、また仕切りを閉める。左平次さんは感心至極の面持ちだ。
「ほら、この喋りの間を途切れさせない登場のタイミング。流石ですよねえ」
こんな風に息のあった二人会なのである。
「真田小僧」は真打のフルバージョン。「全部は初めて聴いたなあ」と嬉しがっているお客さんの声が聞こえた。金坊が緩急自在の話術で父親を操るのがおもしろい。「居残り佐平次」は何度かあった左平次さんの昇進披露興行のどこかで聴いた記憶がある。たぶん横浜にぎわい座だ。左平次の佐平次。ふてぶてしさと愛嬌が七三で混じった佐平次が見事で、特に入れ事はしていないが、きちんと左平次さんのオリジナルになっていた。
この会は終演後打ち上げがあるのだが、それは辞退して外に出る。目をつぶっていても歩ける道を通ってしばらく行けば東武練馬、のはずだが気が付いたらなぜか下赤塚駅前、司書房前に来ていた。あれれ。反対側に来ちゃった。
司書房は不思議な店で、古本屋の店頭を古道具がどんどん浸食している。硯や掛軸、色紙のたぐいはともかく、人形やおもちゃのたぐいは古本屋らしからぬ。一つ拍子木と見間違えたものがあったが、一対のアイヌ木彫り人形だった。また紙ものも多く、絵葉書なども多数。プロレス大会の観戦パンフレットが入った桶もあるな。入ってすぐ右の棚に宝井馬琴『道は講釈に通ず 馬琴の芸談余話』(柏樹社)があったので購入。五百円だった。安い。たしかこの店では以前にも講談の本を買った記憶がある。
以前に来たのは、川出正樹さんと川越街道を歩いたときだから四、五年ぶりなのではないだろうか。そのときから店頭は賑やかだった記憶があるが、なんだか増殖していた。閉まっている横の店の前までワゴンが進出して、VHSビデオなどを売っている。次に来たときはどこまで伸びているだろう、などと思いながら池袋へ。またしても安心と信頼の三福。