某月某日
前日にあった嫌なことの記憶を振り払いつつ木馬亭へ。十月公演五日目の本日は、体調不良でしばらくお休みをされていた天中軒雲月さん復帰の日なのである。また、コロナ禍でしばらく来京できなかった天光軒満月さんも戻ってこられる。ここで来なければ漢が廃ると思ったお客さんが木馬亭へ続々と詰めかけてくる。
山内一豊の妻 天中軒すみれ・沢村豊子
仲乗り新三 国本はる乃・沢村豊子
クラシカ浪曲歓喜の歌 港家小ゆき・佐藤貴美江
糸車 澤順子・伊丹秀敏
仲入り
からかさ桜 澤雪絵・佐藤貴美江
五郎正宗孝子伝 神田すみれ
父帰る 天中軒満月・伊丹秀敏
若き日の小村寿太郎 天中軒雲月・沢村豊子
今日はハレの日なのだな、と思ったのは曲師の顔ぶれだ。現役ツートップと言うべき沢村豊子、伊丹秀敏のお二人に、佐藤貴美江日本浪曲協会副会長の三人。いつもならもう少しキャリアの浅い人も取り混ぜて弾くのにこの豪華さはなんだ。雲月・満月の木馬亭復帰を全員で祝福しているとしか思えない。
「山内一豊の妻」はすみれさんで聴くのは何度目か。ひさしぶりのお外題であった。話の山場で「ちょうど時間になりました」と切るのは常套手段だが、あまりにもタイミングがよくて場内が爆笑した。それだけ話に引き込まれていた証拠で研鑽の程が窺える。「仲乗り新三」は師匠国本晴美譲りの侠客もの。木曽節を織り込んだ節がいいのはもちろん言うまでもないが、結局は戸板越しの会話に過ぎない山場を見事に聴かせるのは手練の技だと思う。「ぁああああああぁあああぁ」とAの音がせり上がるくだりが圧巻で、涙腺を刺激する。
「歓喜の歌」を聴くのはたぶん三度目だが、毎回曲師が違っている記憶がある。間違っていたら申し訳ない。最初は沢村豊子で火曜亭、次はどなたか中堅の方で木馬亭、今回で初めて佐藤貴美江ではないか。演奏会の場面で実際に「歓喜の歌」を合唱するくだりがあるのだが、そこに合わせた三味線が軽音楽的でよかった。内容が少しずつ変わっている読み物で、ベートーベンが浮かれ節で踊るところは今回がいちばん長かったように思う。新作の宿命でもあるが、言葉が七五にはまりきらず節には字余りに感じられてしまう箇所がまだあるのではないか。さらによくなっていく予感のする読み物だ。
「糸車」は山本周五郎『日本婦道記』所収の短篇が原作で大西信行脚本である。高音部の使い方など、師匠譲りでかつ独自性を加えた美麗なものであった。順子さんオリジナルの節回しをまだ私の耳が未熟でちゃんと捉えられていないのだが、今回初めてこれかな、と思った。まだまだ聴きこまないといけない。たぶんこの読み物を聴くのは初めてだが、脚本は実に巧みだ。全員善人しか出てこないのに人間関係の葛藤が生じるところが巧く、娘と産みの親の会話で緊張が高まる。「糸車」という題名の意味がぴたりとはまる幕切れも印象的である。
仲入りを挟んで「からかさ桜」は「三囲塚の由来」として東家三楽一門でもかけている読み物の別バージョンである。これも大西信行脚本だと思うが、後半の気難しい爺が赤ん坊に心をほだされるくだりで、澤雪絵の背後に師匠・澤孝子が重なって見えた。ヒューマンコメディとして充実した内容と感じられたのは、以前に聴いたときよりも二人の主人公である北野屋と侍・山田のキャラクターが仕上がっていたからだと思う。
講談「五郎正宗孝子伝」の前半は、大利根勝子「五郎正宗少年時代」でおなじみの内容である。浪曲では最後、五郎少年を継母が毒殺しようと企むというナレーションが唐突に入ってびっくりさせられる。そのくだりまで演じられたので、あのあとこういう展開になるのか、と興味津々で聴いた。鎌倉の話なのだが刀鍛冶がみな江戸っ子風で軽みがあっていい。これはすみれさんの味だ。しかし、どう考えてもハッピーエンドになりそうにない展開なのではらはらしながら聴く。収まるところに収まって後味はさわやかであった。
「父帰る」は言うまでもなく菊池寛原作の一席で、一月の浪曲親友協会大会で、松浦四郎若、天光軒新月、天光軒満月というリレーで聴いているのが最後だと思う。十八番でもあり、ひさしぶりの満月出演なのできっとこれじゃないか、と予想していたら的中した。出奔した父を許さない長男・賢一郎の周囲で緊張感が高まっていく様子が聴かせどころか。粘り気のある調子で語られる外題付けに特徴があり、ああ、満月さんと再会できたのだなと慨嘆した。
「若き日の小村寿太郎」も雲月さんで聴くのは一月の大会以来で、その後にお弟子さんで何度か聴いているはずである。トリの読み物としてはやや短めだが、時間も少し押していたし、まずは試運転ということで選ばれたのだろう。体調不良からの復帰舞台なので観客はもうただありがたいモードであり、幕が閉じているのに演者名のアナウンスがあっただけで拍手が起きた。やや斜に構えて演台に向かう姿勢を見て恥ずかしいがこちらは涙がにじむ。絶好調のときに比べると節は抑えめだったと思うのだが、それでも真剣を横に薙ぎ払っていくような鋭さのある節に、待っていたのはこれだ、と感情の高ぶりを覚えた。七日にもう一度ご出演される。これは何があっても行かなければいけない。