某月某日
浅草木馬亭十一月公演五日目。このあと少しずつ更新していくつもりなのだけど、前週木曜から単独公演が連日であったので、もう八日間木馬亭に通っているのである。浅草21世紀劇団の猪馬ぽん太さんと毎朝道ですれ違ってなんとなく可笑しい。
甚五郎京都の巻 東家志のぶ・馬越ノリ子
魚屋本多 東家恭太郎・伊丹明
天保水滸伝鹿島の棒祭り 玉川奈々福・沢村まみ
田村操 大利根勝子・伊丹明
仲入り
裸川 澤惠子・佐藤貴美江
伊藤孫兵衛 田ノ中星之助
乃木将軍信州墓参 天光軒満月・伊丹明
女人平家 澤孝子・佐藤貴美江
対談記事の原稿をまとめていたら電車二本分出発が遅れてしまい、最初の志のぶさんに間に合わなかった。聴けなくてごめんなさい。
この日の澤孝子さんは、前日に続いて枕で弟子・澤雪絵さんの八日に迫った紀尾井小ホール公演に触れた。同公演が文化庁芸術祭参加だからなのだと思うが、ご自身が芸術祭に参加された際に大西信行氏に書き下ろしてもらった台本ということで、『平家物語』から祇王のエピソードを描いた「女人平家」を口演された。おなじみの「祇園精舎の鐘の声」で始まる外題付けは、琵琶の音を思わせる、ブン、ブンという低音の三味線で始まる。曲師・佐藤貴美江さんの腕の見せ所である。
祇王は時の権力者である平清盛に寵愛を受けるが、新たな白拍子・仏御前が現れたことで退けられる。失意の日々を送るうちにその仏御前を慰めるためという名目で再び召し出され、あまりにも女心をないがしろにしたやり方に怒りを表し、自ら髪を切って仏門に入るのである。自身を親切に招き入れてくれた祇王がそのために清盛から捨てられたことに心を痛めた仏御前も、後を追って嵯峨野の庵に入る。「真に惚れた殿方と巡り会うこともできずに心心無い人のために女の盛りを弄ばれる」すべての女人のためのプロテストソングにもなっており、格調高い一席であった。終わって孝子さんはほっとした表情を浮かべて客席に挨拶をされる。やはりひさしぶりということで緊張されたのだろう。あえて難しい外題に挑まれたのは、愛弟子に対するエールである。
玉川奈々福さんの「鹿島の棒祭り」は、目力豊かに平手造酒の喧嘩顚末を語った。平手は後に酒毒のために頓死する。この時点ではまだ健康を保っているのだが、やがてくる運命を予感させるかのように影のある表情で、そこがまた良かった。中途で落魄した自らの境遇を悔いる場面があるが、ここでの節が切々としたものである。本来はこの読み物、五月の沢村まみさん木馬亭デビュー時にかけるはずであったが、コロナ禍のために遅れたものだという。奈々福さんは現在、二回ある木馬亭の出番のうち一回を若手であるまみさんの育成に充てられている。その意志を感じさせるように力強く、節が三味線を引っ張っていく箇所がいくつかあったように思う。
先月ご出演のなかった大利根勝子さんは「田村操」である。作者がわからないのだが、連続物の一部を切り取ったような内容になっている。浪子・公子の姉妹は、実は浪子が捨て子である。そのことを知らずにきたのだが、ある日父親は公子に事実を打ち明ける。公子に財産を相続させるべく、縁談をまとめようとしているのだ。自身の法律事務所で働く田村操が候補者となるが、このことがたいへんな事態を招く。操は浪子の想い人だからだ。話を立ち聞きしてしまった浪子は操の元に走り、公子の手に渡る前に、と求婚する。そしてはねつけられるや西洋ナイフを持って自害すると絶叫、さらにそれを阻止されると、今度は操に殺されると助けを呼び始めるのである。書いているだけで眩暈がしてくる。恐ろしいぞ浪子。結局操は浪子を守って口を閉ざし、そのために放逐される。しかしそのためにさらなる悲劇が、というようにどんどん不幸が連鎖していくスリラーだ。勝子さんには「梅山家の縁談」という、これも恐怖浪曲としか言いようのない外題があるが、「田村操」も実に恐ろしい。世の中にこんな恐ろしい登場人物の出てくる話があるのか、と聴くたびに感じるのである。前から思っていたが、大利根勝子さんにはグラン・ギニョルの味がある。
澤惠子さん「裸川」はいつもの落語浪曲ではなく、太宰治『新釈諸国噺』に収められた短篇を原作にした作品だ。台本は大西信行氏。鎌倉時代、川に落とした十一銭の金を、人を雇い、松明を点して探させたという青砥藤綱の美談を描いた話だが、今の倫理観からするとトイレを素手で掃除させるようなパワハラ話に感じる。修身の教科書にこれが載っていたというのが現在の観点からすると恐ろしい。だって、わずかな銭を拾うために深夜残業させられるなんてばかばかしいと手を抜いた部下を川に監禁し、見つかるまでは上がって来るなと衣類も奪って働かせるという話なんだもの。演出のおかげで笑い話っぽくなってはいるが、労働管理局に訴えたほうがいい事態だ。