翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。
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『シャム双生児の秘密』を巡る考察は、北村薫『ニッポン硬貨の謎』(創元推理文庫)所収の評論がわくわくするほど知的好奇心を掻き立てられる内容なので、ぜひ読んでください。この作品は小説なのに、評論部分の素晴らしさから本格ミステリ大賞の評論・研究部門を受賞したという異色作です。あと、もう一つ日本の作家の話なのですが、お二人が書いておられる「シャム双生児である必然性があまりない」問題に某作品でさりげなく応えたのが綾辻行人ではないか、というのが私の持論であります。
ご存じのとおりクイーンは〈国名シリーズ〉と呼ばれる初期作品群において「フェアプレイに徹しながら犯人当ての興味を追求する」「証拠を取り扱う手つきを巧緻にすることで謎解きの興趣を高める」というミステリーの重大な要素を突き詰めていきました。ほぼ完成形といっていいと思います。1936年の『中途の家』(創元推理文庫)あたりから新たな方向性を模索し始め、第二次世界大戦中の1942年に『災厄の町』(ハヤカワ・ミステリ文庫)でライツヴィルという架空の町を舞台にした連作を始め、「アメリカを描いた小説」を自身でも手がけようとします。さらに重要な作品は1948年の『十日間の不思議』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、これ以降のクイーンは自身のユダヤ系という出自に回帰したか、旧約聖書的な神学論議と神話的な悲劇の構造をプロットの中に積極的に盛り込むようになっていきます。いわゆる「後期クイーン問題」とは探偵が謎を制御しうるという牧歌的なミステリー観に疑義を呈した画期的な議論であり、クイーンはこの問題を潜在的に意識していたがゆえに1949年の『九尾の猫』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などの作品で悩める探偵を作中に描くようになります。それとは別に「ミステリーという枠の中では謎の形式に制約はない」と言わんばかりに1964年の『第八の日』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などの異色作も生み出していきます。前期クイーンは「挑戦」、後期クイーンは「実験」の時期といえるでしょう。
さて、クイーン作品の中から本書を選んだ理由です。『シャム双生児の秘密』は時期としては前期に属しますが、「挑戦」のみならず後期の「実験」作風の萌芽が見え、そのグラデーションが楽しい作品です。また、分量もそれほど大部ではなく、初めてクイーンを読む方には最適のテキストと考えてこの作品をお薦めした次第です。そうか、今は品切れなのですね。でもおもしろいのでぜひ読んでもらいたいと思います。
次回はジョルジュ・シムノン『倫敦から来た男』ですね。これも絶対におもしろいですのでご期待ください。映画版もありますので、もしお時間があればぜひ。