翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。
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お二人の感想を楽しみにしていたのですが、なるほど、カウンタックですか。グーですか。
ギャグに逃げましたね?
いや、無理もない。
謎解き小説ファンの間ではカーは特別な存在であり、作家に対する心境を一言で表すなら「問題児であると同時に心の拠り所である」。
ミステリー・ファンの中に謎解き小説マニアがいて、その中にさらにカー信者がいる。そしてカー信者はそれだけで一ジャンルを為しており、たとえば「どのカー(ディクスン)作品がベストであるか」という問いに対してはそれこそ百家争鳴。統一した見解など望むらくもない、というのが現状であります。そう、みんなの心の中に好きなカーがいる、といった按配でしょう。
簡単に作家としての流れを説明しておくと、初期作品は自身のフランス洋行経験や、ポーへの傾倒などもあってロマンティシズムの横溢する作風です。畠山さんが書名を挙げてくださっていたアンリ・バンコランものから、スティーヴンソンへのオマージュの性格が強い『アラビアン・ナイトの殺人』までの作品にはそういった性格が強いといえるでしょう(途中でファルスに浮気をして『盲目の理髪師』などの作品を書きますが。カーは喜劇映画好きでして、その辺のことは拙著『路地裏の迷宮踏査』にも書いてあります)。
もともと歴史ものには関心をもっていたようですが、実際の事件に取材した1936年の『エドマンド・ゴドフリー卿殺人事件』あたりからそうしたものを書きたいという欲求が強くなり、後年(1950年)1815年のイギリスを舞台にした『ニューゲイトの花嫁』を書きます。以降のカーは現代もの以上の情熱を歴史ミステリーに注ぐようになるのです。
ミステリー作家としての絶頂期はそのころでしょう。1935年には本文中でも触れられていた『三つの棺』を刊行、その翌年には意欲作『火刑法廷』を世に問います。また、1934年からカーター・ディクスン名義でも作品を発表していますが、1935年には本書と『赤後家の殺人』という、密室トリックの中でも対称的なパターンを用いた二作を世に問うています。カーはアメリカ人ですがイギリス好きが昂じて渡英し、本国にいたらまったくその心配がなかった第二次世界大戦の戦火、ナチスドイツによるイギリス空襲の恐怖にも遭遇します。しかしその経験を無駄にせず、それどころか利用して1944年に『爬虫類館の殺人』を書くのですね。故・瀬戸川猛資は、カーのこの「なんでもあり」の姿勢を『夜明けの睡魔』で絶賛していました。そう、私もカーのこの「誰の挑戦でも受ける」的な姿勢を深く愛しております。もしお読みになるのであれば、初めての方は1935年から1944年の間の作品をぜひ手に取ってみてください。
さて、次回はパトリック・クェンティン『迷走パズル』ですね。お二人がどう読まれるか、期待しております。