翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。
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「マーガレット・ミラーのぱっとしない旦那」って、あーあ。
1970年代から80年代前半にかけて、みんなが言わないようにしていたことを言っちゃいましたね。あーららこらら、いーけないんだいけなんだ。
という戯れ言はさておき。
ロス・マクドナルドの中期作品、具体的に言えば1958年の『運命』から1968年の『一瞬の敵』に至るまでの約10年を短い表現で総括しえた評論にはいまだ出逢ったことがないように思います。
第一義としては、それは私立探偵の主人公が、単なる書き割りの域を脱し、キャラクターと今で言うところの世界観を融合させる、視点人物として成長した時期でした。一作ごとに異なるキャラクターがいるのではなく、シリーズキャラクターとして、きちんとした個人史を持つ人物として、初めてリュウ・アーチャーは設定されたのでした。だからこそ『運命』『ギャルトン事件』のような小説が書かれたのです。
もう一つは、日本の法月倫太郎氏がずっと執着している、不自由な視点人物の問題があります。一人称探偵小説の常として、主人公は語りを行う作者の側ではなく、それを読み取る読者の側に従属するような行動をしばしば採ります。そういう人物を配して不可解な状況を描くことに、ロス・マクドナルドは固執したのでした。1980年代に流行した私立探偵小説の形式は、このロス・マクドナルドの問題提起を乗り越えられませんでした。おそらくそれはキャラクター主導のミステリーの叙述形式として現在も残存し、影響を与え続けています。ロス・マクドナルドが遺した「見えないものをいかに見えるように書くべきか」という問題提起に、きちんとした回答を示した書き手はまだいないのです。そういう意味でもぜひ彼の代表作である本書を読んでもらいたいと思います。