翻訳ミステリーマストリード補遺(39/100) マイケル・Z・リューイン『A型の女』

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翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。

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一九七〇年代に小鷹信光氏が提唱されたネオ・ハードボイルドという概念は、日本においては二つのことを生み出しました。一つは、私立探偵というキャラクターの再発見です。ステロタイプな探偵像、それこそ「マルタの鷹」でサム・スペードを演じたハンフリー・ボガートを鋳型とするような探偵のキャラクターはこの流れの中で陳腐なものと見なされ、乗り越えられていったとしていいでしょう(一九八〇年に放映された「探偵物語」で松田優作演じる工藤俊作が以降の私立探偵像に大きな影響を与えました。同番組原案は小鷹さんですから、その方面でも足跡を残されたことになります)。リューインやスティーヴン・グリーンリーフといった〈ネオ・ハードボイルド〉の作家たちがアメリカ本国で潮流を作ったのか、それとも群として見なされる存在ではなかったのか、という検証は必要ですが、〈探偵のキャラクター化〉という観点では後続作家に与えたものは大きそうです。ちなみに、〈ネオ・ハードボイルド〉以降の作家たちがキャラクター化された探偵を配せざるを得なくなったことが連作の凋落を招き、単発作品主流の時代を招いたのではないか、という意味の指摘を法月綸太郎さんから受けて、思わず膝を叩くほど納得したことがあります。

ネオ・ハードボイルドという作品群が日本の読者に与えたもう一つの影響は、ハメット・チャンドラー・(ロス)マクドナルドという、いわゆるハードボイルド・スクールの三作家の再読が進んだことです。もちろんそれ以前から御三家としてそれらの作家を奉る動きはありましたが、神格化して褒めたたえるのではなく、それらの偉大な先人の作品を査読し、どういった要素が一九七〇年代以降の作家に継承されたかを検証する動きが産まれたのです。この動きは後に〈ノワール〉ブームが起きた際に一旦変化します。〈ハードボイルド〉という狭いジャンルから〈犯罪小説〉という広い定義へと作品群を解放して読むことによってさまざまな発見があるのですが、その話題は後日に譲りましょう。御三家のうち、もっとも重視されるべきはロス・マクドナルドの一人称私立探偵小説だと思われます。これについては先日、若島正氏がツイッターで非常に触発される発言をしておられました。6月27日のこのツイートからの一連の発言をぜひご覧になってください。「わたしたちは、小説の細部を読むことで、表面には浮かび上がってこないArcherの推理を読むのだ」という指摘は実に鋭い。『夜明けの睡魔』の瀬戸川猛資を引き継ぐ形で前出の法月綸太郎氏はロス・マクドナルドの論理性を評価しましたが、それは「事実の推移を追っているだけに見える小説に、実は作中のタイムラインを読者自身が再構成して読むように仕向けられている企みが秘められていることに気づく」というスリリングな読書体験へと導くものでした。表面で語られていることだけではなく、物語内時間・物語内論理で小説は動いていきます。一人称で見えることのみを書いてすべては語らない、という技法をミステリーで意識的に用いたのはハメットですが、マクドナルドはそれを完成させた作家といえます。そしてネオ・ハードボイルドの私立探偵小説を読むという行為は、最終的にはこのマクドナルド的技法の発見へとつながったのでした。

アルバート・サムスンというキャラクターについてほとんど触れずにきましたが、上で畠山さんが指摘されているとおり、彼は「調査に失敗する」私立探偵でした。捜査はだいたいうまくいかず、さまざまな迂回路を進むことを強制されます。実はその失敗こそが重要なのです。物語の表面で起きていることではなく、水面下で進行しているタイムラインが重要なのであり、それを発見したときに事件は解決する、という形式をサムスンの物語は、特に前期において採っていました。その完成形が『消えた女』でしょう。サムスン・シリーズの新作が刊行されていた時代に評論家の池上冬樹氏が「サムスンがパソコンを使うこと」についての危惧を表明しておられましたが、これは決して表面的な問題ではなく、その下にある「サムスンが試行錯誤することによってタイムラインが浮上する」という物語の特質を意識されたものだったでしょう。後にリューインは警察官リーロイ・パウダーを主人公に採用し、複数の捜査が同時進行していく、いわゆるモジュラー型の捜査小説を著わします。これもサムスンの私立探偵小説とは無関係に存在するのではなく、「水面下のタイムライン」に着目したリューインの創作法が生み出したものと見なすべきだと私は考えます。

ご存じの方も多いと思いますが、『誰か Somebody』に始まる宮部みゆきさんの連作は、アルバート・サムスン・シリーズへの尊崇の念から始まっています。この連作が象徴するように、一九九〇年代以降の日本ミステリーにリューインが与えた影響は多大なものがあります。現代ミステリーを読む上で決して無視できない偉大な山脈の一つとして、リューイン作品を推薦する次第です。

『A型の女』を畠山・加藤両氏はこう読んだ。

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