翻訳ミステリー大賞シンジケートの人気企画「必読!ミステリー塾」が最終コーナーを回ったのを記念して、勧進元である杉江松恋の「ひとこと」をこちらにも再掲する。興味を持っていただけたら、ぜひ「必読!ミステリー塾」の畠山志津佳・加藤篁両氏の読解もお試しあれ。
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1970年代後半から1980年代にかけて、イギリス現代ミステリーの紹介にはどこかおずおずとした雰囲気がつきまとっていたことを記憶しています。いわゆる〈本格〉の系譜が途絶えて警察小説が主流になっている、といった偏った情報があったためかもしれません。もちろんそれは誤りで、警察小説は初めからイギリス・ミステリーの主流でした。警察官キャラクターを主人公に据えるのは基本のようなもので、その上で従来通りの犯人当てなど謎解きを重視するもの、J・J・マリックのギデオン警部シリーズのような時間の流れを現実世界のそれと合わせて臨場感を読者に味わわせる捜査小説、ジョイス・ポーターの産んだ最低の探偵・ドーヴァー警部シリーズのような悪趣味すれすれのユーモア・ミステリーと、多岐にわたる作品が書かれていたのです。
今のイギリス・ミステリーだってきちんとした謎解き小説はあるし、何より探偵のキャラクターが魅力的だぞ。そんな風に日本のミステリーファンの認識が1980年代になって少しずつ改まってきました(その最大の功績者はコリン・デクスターだと思いますが、残念ながら全作品が入手不可だったため『マストリード』では紹介できていません)。私自身の場合でいえば、キャラクターの魅力が突破口となり、気になる探偵を捜しながら読み歩いている間に、それまでわからなかったイギリス・ミステリーの雰囲気の良さに気づいた形です。物語の舞台をじっくりと描き、そこに登場する人々の群像を浮かび上がらせ、その上で事件によってどんな変化が生まれたかを綴っていく。スリルを追うのではなく、時間の推移と共に募っていくサスペンスを重視する作風がおもしろいことに気づき、大袈裟に言えば自分のミステリー観を変えるほどの驚きがありました。
2000年代以降は、森英俊さんをはじめとする研究家の尽力もあって翻訳の空白期間に書かれた秀作が多く発掘されています。それらの作品に当たるのもいいのですが、これぞイギリス現代ミステリーという一冊を読むならば、まずP・D・ジェイムズを手に取ってみてもいいのではないでしょうか。『女には向かない職業』を読み『皮膚の下の頭蓋骨』を経由して自分に「ジェイムズ気質」があるとわかった方は、作者の看板でもあるアダム・ダルグリッシュ警視シリーズにも挑戦していただきたいと思います。本当は『死の味』以降の長大路線作品をお薦めしたいところですが、まずは長篇第三作の『不自然な死体』あたりから、いかがでしょう。