杉江松恋不全閑居 蘇った隼人

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許可をいただいて撮影。

某月某日

今抱えている仕事。インタビューの構成×3(イレギュラー2、文庫解説1)、レギュラー原稿×4、イレギュラー原稿×3(文庫解説、調整待ち、書評)、ProjectTY書き下ろし。下読み×2。

やらなければならないこと。連載原稿の準備×1。取材の準備×1

進まないながらもちょっとずつ仕事をしていたら、妻に西村賢太の訃報を教えられた。享年54はあまりに早く、衝撃を受ける。ほぼ同い年なのである。

妻と近所を散歩した後、単身浅草木馬亭へ。真山隼人さん月イチ独演会特別編「蘇った隼人」である。昨年10月22日に突如の病で倒れ、1月に復帰するまで約三ヶ月の静養を要した。23日に東京で日本浪曲協会の浪曲大会に出演することになっており、急な休演になったため、病気だということは知っていたが、まさかそこまでの重さだとは思っていなかったので、公式サイトで状況が記された際には読んでたいそう驚いた。隼人さん自身が綴っているので、詳しくはそちらを。

当時は『浪曲は蘇る』の校正作業に入っており、真山隼人さん・沢村さくらさんコンビのゲラチェックがまだ終わっていなかった。編集Y元とも話し合い、隼人さんの病状次第では本の刊行を延ばすしかないと言っていたのである。思った以上に早く快復され、言葉も戻りつつあると聞いて胸をなでおろしたが、だからといって無理はしてもらいたくないという気持ちもある。すでに大阪では復帰公演を行い、昨日では東都での初お目見えである。期待半分、懸念半分で木馬亭に駆けつけた。

闘病記 死んでたまるかの巻

山月記(芦川淳平作)

名刀稲荷丸

倒れた顛末を浪曲化したという一席から舞台が始まる。幕が開いてさくらさんが見えた瞬間から拍手は鳴りやまず、隼人さんが現れるやそれが割れんばかりに。しばらく続いて「そんなに拍手されたら泣いてしまうやないですか」と笑わせ、ひとしきり口上を述べてから節に。最初の一節が見事で観客が思わず息を呑むと、突如「どうじゃ、この声は」と。見事。

「闘病記」自体はまだ練り込める構成だが、これは一つの売り物になると思う。かつて神田愛山がアルコール依存症との闘いを講談化したように。一般層にも届く内容なのではないか。この外題でNHKに出ちゃえ。浪曲十八番で唸っちゃえ。

「山月記」は中止になった独演会でも予告が出ていたもの。中島敦の名作を芦川淳平と隼人・さくらコンビで浪曲化し、鍛え上げた逸品。途中の情景でさくらさんが三味線を二胡のような音色に弾くくだりがあり、情景の不気味さ、不安さを盛り上げた。名曲師あってこそのお外題であった。

「名刀稲荷丸」は二代目京山小圓嬢から無理を押して頂戴したという現在の隼人・さくらの十八番。槌打ち場面の緊迫感が素晴らしく、息を詰めて聴いているうちに流麗なバラシへと入り、後は一節ごとに拍手が湧き起こるクライマックスとなる。観客が上気した顔で帰っていった。その表情こそが満足の証。

次回公演は3月6日(日)。この風雲児が昇っていくさまをご覧になりたい方はぜひ木馬亭へ。予約必須のはずなので、こちらから。

それにしても惜しまれつつ亡くなる人の報あり、なんとか踏みとどまってくれた人ありで、命の重みを感じさせられた一日だった。明日も生きるぞ。

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