杉江松恋不善閑居 浪曲二代目会のこと

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某月某日

今抱えている仕事。インタビューの構成×3(イレギュラー2、文庫解説1)、レギュラー原稿×3。イレギュラー原稿×3(文庫解説、調整待ち、書評)、ProjectTY書き下ろし。下読み×2。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

当たり前のことなのだが、外出しないで在宅していたほうが集中して原稿が書ける。レギュラー・イレギュラー合わせて5本は書くつもりで朝から机に向かっていたが、こなせたのは最低目標の3本だった。それでもだいぶ気が楽になった。明日こそは、と思う。

写真は先日の我楽多市で購入した浪曲会のチラシである。浪曲二代目会というのは、大きな看板の二代目や三代目などを継いだひとびとにより結成されたものである。七人全員の前名を記すと、

三代目玉川勝太郎(初代玉川福太郎)

二代目鹿島秀月(林晴夫)

二代目梅原秀夫(天野照夫)

二代目相模太郎(相模武)

四代目東家三楽(東家若燕)

二代目篠田實(三門勝男)

三代目廣澤虎造(廣澤虎之助)

となる。唯二郎『実録 浪曲史』には東家三楽が三代目になっているが、三代目は秋津嶋雄鳳から襲名した人なので、これは間違いだろう。三楽は楽燕門下で、師の名前を継ぐ話もあったが、その没後に嫉妬した兄弟子によって妨害されて果たせず終わった。二代目三楽の縁者から話があって、空いていた三楽の名を継ぐことになったらしい。二代目三楽は初代天中軒雲月とも縁の深かった人で元は如雲月、初代のリタイア後、勝手に二代目を名乗り始めたので、雲月嬢(後の伊丹秀子)に名乗らせたい浪花家興行社の永田貞雄と揉めたと四代目の談話にある。三代目の元秋津嶋雄鳳はこの人の門下だが、1969年3月に59歳で亡くなったということ以外はよくわからない。

二代目会の旗揚げは、芝清之編『日本浪曲大全集』の年表によれば1972年6月28日に新宿コマ劇場で行われたとあるが、誤りではないかと思う。唯二郎『実録 浪曲史』では8月10日コマ劇場の公演が旗揚げとある。短期間に二度もコマでやるはずはなく、手元に8月10日のチラシがある以上はそちらが正しいという線が濃厚である。となると購入したこのチラシは、貴重な歴史的資料ということになった。ありがたい限りである。

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