杉江松恋不善閑居 浪曲の歴史的資料を発掘

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某月某日

今抱えている仕事。レギュラー原稿×5。イレギュラー原稿×4(調整待ち、エッセイ、文庫解説×2)、ProjectTY書き下ろし。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

午前中は仕事読書で終わる。書かなければならない原稿はあるが、まず読まないとどうにもならない。昼食を終えてから外出し、都内某所へ。浪曲関係者へのインタビューである。貴重な談話を収録することができた。こういう取材をこつこつと続けていきたい。

帰路、ひさしぶりに西小山・ハイカラ横丁まるやに寄る。さまざまなアンティークを扱っている店で、メンコやチラシのたぐいの紙ものからサイダー壜、鉄道切符、おもちゃなど幅広い。そういえばここで浪曲関連のものを拾ったことがなかった、と本腰を入れて探してみることにした。あるとすれば紙ものだと思うので、チラシのところを掘り返すと、中埜酢店が刊行した「ミツカン通信」が見つかった。ウィキペディアを見ると、中埜酢店が株式会社化したのは1923年だというから、その後のものだ。顧客を対象とした浪曲大会を日比谷公会堂で開催したとかで、玉川勝太郎と木村重松の名が並んでいる。勝太郎は二代目、重松は初代か。そういう形で企業主催の会が開かれていたということを示す貴重な資料である。しかも安い。

勘定場に持っていく。駄目元でおやじさんに、何か浪曲関連のものはありませんか、と聞くと考え込んでいる。たしかポスターがあったはずだ、敬老の日のやつが、と言いながら立ち上がって頭上の棚を漁り始めた。

「あった」

取ってきてくれたものを見ると、立派なポスターである。新潟県高田市厚生会館で開かれた豪華浪曲名人大会のもので、四代目天中軒雲月、浪花家辰造、春日井加寿子、木村若衛、五月一朗、鹿島秀月、東家浦太郎の名が連ねられている。たしかに豪華、たしかに名人揃いである。ほら、あった、よくこんなものを俺は仕入れたね、とおやじさんは自画自賛している。そのとおり、よく仕入れてくれました。しかも、これも安かった。素晴らしい。

敬老の日制定を記念しての会らしく、とすれば1966年だろう。10月26日だから祝日の翌月に開催された。唯二郎『実録浪曲史』によれば、敬老の日制定を受けて「県の社会福祉協議会と老人クラブ連合会の共催で、公共施設を借り、比較的低廉な入場料で行い、さらに純益の一部を還元」する会が関東各地で開催された。「九月の敬老の月は慰問の希望が殺到し、掛け持ちが多く、曲師のやり繰りがつかずに断ることも多かった」とある。入場料が300円に設定されているのは、まさにこの記述に合っているし、10月に開催されたのも9月に出演者を押さえることが難しかったためだろう。まさに歴史的資料。よくぞ私の手元に来てくれた。

都内某所で定期診断を受けて帰宅。仕事は進まなかったが収穫の多い一日だった。

浪曲は蘇る:玉川福太郎と伝統話芸の栄枯盛衰

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