某月某日
今抱えている仕事。レギュラー原稿×5。イレギュラー原稿×3(エッセイ、評論、解説)、ProjectTY書き下ろし。
やらなければならないこと。主催する会の準備×1。
午前中にインタビュー原稿の構成を仕上げて浅草へ。本日は夜まで木馬亭。
まずは定席の公演である。日本浪曲協会は新型コロナウイルス流行のため延期していた創立八十周年記念公演を今年は毎月行っている。四月度は歴代会長顕彰のうち、初代・二代目春日井梅鶯、寿々木米若、二代目・三代目広沢虎造の会である。ずいぶんまとめての顕彰だ。
風説荒神山1 東家志乃ぶ・伊丹秀敏
風説荒神山2 東家千春・伊丹秀敏
雷電初土俵 国本はる乃・沢村道世
清水次郎長伝お民の度胸 玉川奈々福・沢村豊子
仲入り
大石妻子別れ 東家一太郎・東家美
思い出話コーナー 伊丹秀敏・花渡家ちとせ(司会・東家一太郎)
佐賀の夜桜 神田紅佳
吉田御殿 富士琴美・伊丹秀敏
悲恋与茂七 花渡家ちとせ・沢村豊子
こうしてみると影の主役は伊丹秀敏である。二代目虎造・米若・梅鶯の三人を唯一弾いたことがある曲師である秀敏による思い出話コーナーは、虎造・米若の二人を弾いたのは十八歳のときで、佐賀の大町での公演だったとか。大町は佐賀でもっとも小さい町として知られるが杵島炭鉱があったので、おそらくはそれ関連ではないか。主任の花渡家ちとせは春日井派の梅光に入門して、二代目梅鶯にも会っている。悲恋与茂七は梅鶯が二代共に得意とした外題である。梅鶯つながりで意外だったのは一太郎の大石妻子別れだ。これは一太郎の師である二代目東家浦太郎が太田英夫時代に初代梅鶯の一座に出方(助演)として二年ほど加わったことがあり、そのときに貰ったものであるという。仲入り前は、すべて二代目虎造が演じた外題だ。こうして見ると、梅鶯・米若・虎造という一見乱暴なまとめ方にも意味があることがわかる。意味があるというか、米若ゆかりの浪曲師・外題が今の協会には薄いのである。米若は佐渡情話が有名だが、戦前から戦中にかけて厖大な数の新作を作った人でもあって、その外題の中には現代にも通用するものがあるかもしれない。協会の共有財産として復刻してはどうだろうか。
この日は当たりの日でどの演者もよかったが、前半でははる乃の雷電初土俵が一節ごとに拍手の湧き起こる熱演であった。一年前と比べても進境著しい。道世もよくついていっており、若手曲師の成長ぶりを確かめられたのも嬉しかった。
終演後、一時間ほど経ってからまた入場。今度は真山隼人ツキイチ独演会だ。先日大阪で咲くやこの花賞を受賞したが、作家の呉勝浩氏も同時受賞だったはず。日本推理作家協会他各方面はプロフィール反映をよろしくお願いしたい。
慶安太平記磯端伴蔵道場破り 真山隼人・沢村さくら
浪曲師が本気で挑む節真似
善悪双葉の松
最初の慶安太平記は例によって由井正雪が登場する必要がほとんどない、老人による道場破りの話である。上方の慶安太平記はこんなのばっかりで楽しいなあ。観客のほとんどが間寛平の爺さんを思い浮かべながら聴いたのではないか。
善悪双葉の松は初代真山一郎の持ちネタだが、台本が早稲田大学の演劇博物館にしかなかったため、一週間通って筆写したとのこと。それを聞いて早速検索してみたところ、演劇博物館の「九州地区劇団占領期GHQ検閲台本(ダイザー・コレクション)」に「善悪二葉ノ松」を発見した。ただし、真山一郎(当時は華井満あるいは新十郎)の口演ではなく、緒方虎雄が佐賀県三養基部で公演をしたときのもの。これを筆写したのかな。戦後の浪曲は封建・軍国主義が残存した内容ではないか検閲を受けていた時期があった。そのときに提出したものがこうして残っていたのだ。知らなかった。というか、ここに行けば黄金期の浪曲台本がいっぱい読めるんじゃないか。なぜみんな行かないのか。そして、申請を出した台本を地区別に見ていけば、九州地方のどこで公演が打たれていたかが地図化できるではないか。なぜ誰も研究者はやらないのか。私にやれということか。在野の愛好家にすぎない私に。でも魅力的だ。
それにしても、このデータベースを今まで活用していなかったのは迂闊であった。だって、浪曲台本の作者がちゃんと明記されているのである。これからはちゃんと検索することにしよう。出所不明の台本なんかもわかるものがあるのではないか。いいものを知った。
真山隼人口演のうち、「浪曲師が本気で挑む節真似」は見ての通りの内容である。差しさわりがあるといけないので詳細は書かない。浪曲マニアの隼人・さくらコンビにしかできない、楽しい舞台であった。次回は5月3日。