今抱えている仕事。レギュラー原稿×7。イレギュラー原稿×5(書評、エッセイ、解説×3)。
やらなければならないこと。主催する会の準備×1。
一泊二日で長野まで行ってきた。善光寺が七年に一度の前立本尊御開帳を行っているからで、6月29日が最終日である。本当はもう少し早いタイミングで行く予定だったのだが、急用が入って流れてしまった。ぎりぎりの日程だが、これを逃すとまた七年後なので行くしかない。
長野駅に着くと、あたりはもう善光寺参詣の善男善女でいっぱいである。お参りして極楽往生したい、とみんな顔に書いてある。午前九時半頃に駅到着で、そこから約三十分。善光寺境内に来てみると、もう参詣のための列ができ始めていた。本当は到着した初日はゆっくりと湯田中温泉でも行って、二日目の早朝から参詣というつもりだったのだが、どのくらいの人出があるかわからないのでまず目的を達成してしまわないと危険である。そこから三時間ほどかけて、御開帳とご戒壇巡りを終わらせた。善光寺はテーマパーク感があって楽しい。
さてここからはおまけの時間である。おまけだが、来たからにはやるべきことをやってしまわなければ。善光寺を出て東に向かう。宿坊が並ぶ路地を抜けて坂を下ったところに、新刊と古書の北島書店があるが、残念ながら開いていなかった。青い看板がとても魅力的なので、ぜひ入ってみたかったのだが。仕方ない。気を取り直してきた道を戻り、今度は善光寺を背にして南下していく。途中に古い店舗を改装しておしゃれなカフェなどを入れた建物がある。ここに遊歴書房があるのだが、この日がお休みということは前もって調べてある。しかし中で何か営業している気配があったので覗いてみると、カフェのカウンターにいる男性と目が合った。何か、と聞かれたので遊歴書房は、と訊ねると、それはそこで今日はお休み、と答えが返ってきた。建物の一隅が古書店になっているのか。これまた残念だが仕方ない。
来た道をさらに下って大きな道に出る。横断歩道を渡ったところにあるのが光風舎、のはずなのだがこれもお休みである。いかなる魔日か。やむをえず少し先にある角から権堂駅前のほうに下ろうとすると、角に古本棚を置いた店舗がある。だんち堂と看板がかかっているが、たしかもう少し南側だったのでは。いぶかしく思いつつも、百円の均一棚を見る。ミステリー系の文庫が多く、欲しい人ならお得な値付けだ。
その角を下ってだらだらと坂を下りていくと、東西に伸びるアーケード街とぶつかる。これが権堂駅前から続いている商店街で、長野市の中心地のひとつだ。その四つ角に大きな文字で古本と書かれた看板がある。横長のお店がだんち堂だ。外に出ている平台にはDVDや児童雑誌付録などが置かれ、その他にも文庫棚や雑貨などを置いた棚がジオラマの建物のごとく店内を埋め尽くしている。横長のサブカル棚があって、その奥には郷土史を中心としたやや硬めの本棚が。帳場は店の右側になっており、その前では中年の男性がレジにいる女性を相手になにやらおしゃべりの真っ最中だった。どうやら男性ではなくて女性のほうがお店の人らしい。話を邪魔するのも悪いなと思いしばらく待っていたが、なかなか終わる気配がないので、ちょっとすみません、と断って宇井無愁『落語の根多 笑辞典』を売ってもらう。ダブり本だが、誰かがきっと欲しがるのだ。話を聞くと、坂の上にあるのは旧店舗で、今は倉庫として使っているのだとか。
そこからさらに南下する。朝、駅で立ち食いのそばを腹に入れてから何も口にしていない。このままでは食いはぐれると思ったが、午後二時ともなるとどこも開いていない。やむなく目に入った中華料理屋に入ったが、これが大失敗だった。
頼んだ硬焼きそばが出てきてびっくりする。焼きそばの餡は大別すると塩味と醤油味がある。そのどちらにも似ておらず、黒いのだ。しかも餡がかかっているというよりも、片栗粉がだまになって野菜にこびりついていると表現したほうが正しい外見である。野菜もほぼ白菜とねぎだけ。肉は豚小間ではなくてチャーシューが二枚乗っていて、どういうわけか錦糸卵が散らしてある。見かけはどうかと思ったが味がよければそれでいい。箸をつけてみて閉口した。甘いのである。出汁はシイタケなのだろうか。その香りが強いのはいいが、塩気を感じられずひたすら甘ったるい。みたらしのような味で、そこにシイタケの風味がついていると言えばいいだろうか。そして麺にも驚いた。硬焼きそばの麺は太いものも皿うどんのように細いのもあるが、これはそのどちらにも当てはまらない。最も似ているものを挙げるならば、カラムーチョだ。あのくらいに短く折れたもので、さらに歯ごたえがないものが堆積しており、その上にだまになった片栗粉餡がへばりついているわけである。甘い上にそんな餡だから麺には絡まない。
あまりのことで対応に困ったが、だいたいのものは酢をかければなんとかなるものだ。卓上には幸い酢の容器があったので、かけてみた。なんともならないこともあるものだ。だまの餡はそれだけでまとまっていて、酢を弾いてしまう。シイタケの甘さと酢の味が完全に喧嘩していて、口の中で互いを詰り合っている。
これはもうソースをかけるしかないだろう。皿うどんだって最終的にはソースをかけるのだ。かけてみたが、仲の悪さが三つ巴になっただけで、少しも事態は改善されなかった。
これは無理である。たぶん大人になって初めてだと思うが、出されたものを三口だけ食べて退散するという不始末をしでかしてしまった。店の人が見ていない隙を狙って外に出る。恐るべし長野の硬焼きそば。私はこのあと一生長野では硬焼きそばを頼まないことだろう。