杉江松恋不善閑居 長野「山崎書店善光堂」とサザエの刺身の話

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

某月某日

今抱えている仕事。レギュラー原稿×7。イレギュラー原稿×6(書評×2、エッセイ、解説×3)。

やらなければならないこと。主催する会の準備×1。

二日家を空けたつけが来て、昨日は仕事読書で大わらわ。なんとか一本だけ原稿を書けた。夕方に出かけて近所で新型コロナウイルス四回目の予防接種を受ける。

長野の話つづき。名物なのかもしれないがまったく口に合わなかったあんかけ焼きそばで大打撃を受けたあとは、道を南下してぶつかった大きな道を東に進み、長野電鉄市役所前駅近くに出る。そのまま交差点を渡ってすぐのところにあるのが山崎書店善光堂だ。

店頭に均一棚がずらりと並んでいるのを遠くから見ただけで、焼きそばに削られた体力が蘇ってくるのを感じる。店内に入ると可能な限り本棚が並べられた空間である。

入って左側すぐに古典芸能関連の本がある。そこから壁際は歴史系、山岳書、自然科学書などに。入ってきた方向と並行に二本の棚があり、そこは文庫系が中心。奥の突き当りに海外文学のコーナーがあり、そこから右奥に行くと日本文学や郷土本。最も左側は歴史関係を主にした学術系の棚であった。間違いなく何か買って帰るべき古本屋なのでざざっと探す。平凡社ライブラリーが並んでいる棚に新青年編集長であった森下雨村の釣り随筆『猿猴川に死す』があったので、それを買い求めることにした。これは夜の読書用である。

ここからさらに長野電鉄に乗っていけばもう一軒行ける時間なのだが、何しろの酷暑である。これは無理をすべきではないだろうと、早めにホテルに入った。ごろりと横になるとそのまま深い眠りに就く。気が付けばすでに日は落ちていた。何か夕食を摂らねば。

長野に来たのだから馬刺を、と思っていたが、困ったことに行く店行く店、みんな満席である。無理もない。善光寺御開帳で書き入れどきなのだ。予約もせずに今頃のこのこやってきても困る、というのが店側の本音であろう。うろうろとさまよった結果、カウンターのみの割烹に入ることができた。値段の書かれていない品書きは海のものが主で、長野らしさは皆無である。だが仕方ない。直江津のものだというサザエの刺身を貰って、酒だけは長野のものを誂えた。

このサザエが絶品であった。身がこりこりしていいのはもちろん、わたがまったく磯臭くなく、上品な風味を湛えているところが良い。ひと手間かけてわただけ蒸し物にしたのかと思ったぐらいであった。このサザエだけで二合飲んでしまい、すっかり満足してホテルに戻る。今回は長野らしい名物はまったく口にできなかったが、それなりに満足である。

明朝、起きてどうするか考えたが、そのまま真っすぐ帰京することを選んだ。いくつか戻さなければならないゲラもあるし、善行寺参りという主目的は果たしたのだからもういいだろう。心残りは信州大学教養学部前の新井大正堂に行けなかったことだが、それはまた別の機会に。

帰りのはくたかに乗ると、隣の席のご婦人が私の椅子の上に素足を投げだして、ゆっくりとくつろいでおられた。申し訳ないと思ったが、声をかけて座らせていただく。と、ご婦人はさらなる安息の場を求めたのか、荷物を持ってどこかに去っていってしまった。後に北日本新聞だけを残して。この新聞を開くと私の人生を変える暗号メッセージが書かれているのかもしれぬ。

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存