今抱えている仕事。レギュラー原稿×6。
やらなければならないこと。の・ようなものの準備×1。ProjectHRO×1。
一日かかって解説原稿をなんとか終わらせる。木馬亭には行けず。
津原泰水さんが亡くなったことを昨日知った。月並みな言い方だが、残念でならない。
津原さんと会った回数はそれほど多くない。友人とは言えない関係だったが、人柄ではなくて才能を尊敬していた。非凡な作家であったと思う。
惜別の辞代わりに、初めてお目にかかったときのことを書く。以前にも何度か書いたことがあるが、これが最後になると思うのでお許し願いたい。
正確ではないが、だいたいいつ頃かはわかっている。2000年の4月か5月のはずだ。
その日の午後、私は飯田橋のメディアファクトリーにいた。まだ角川書店に合併される前である。用向きは古川日出男のインタビューで、長篇『アビシニアン』が刊行される直前だったのだ。インタビューの内容は別として、写真撮影のときに古川さんが「収入だけだったらライターを続けていたほうが儲かるんですよ」というような話を雑談でしたことを覚えている。
インタビューが終わって、赤坂見附にあるバーに行こうという話になった。場所を聞いて、ああ、そこかと思われた方もいるだろう。小説業界の関係者がよく顔を出していた店だ。インタビューを担当した編集者と古川さん、そして私の三人で向かった。
その店に津原泰水さんがいた。だからあのとき、店には津原泰水と古川日出男が顔をそろえていたことになる。小説の天才が二人。なんという天才空間。残念ながら二人がどんな会話をしたかは覚えていない。そもそも会話をしたのだっけか。それは二人に聞いてもらいたい。
作品は以前から読んでいたので、私は津原さんにご挨拶をした。そこに、津原さんのことをあまり知らないらしい若い女性が話しかけてきた。女性はたしか、私も小説家を目指しているんです、というようなことを言ったと思う。津原さんが小説家だと知って、話しかけてきたのだろうか。
津原さんは彼女の話をしばらく聞いてから、文章を見てあげる、と言った。店の扉を指差して、出てごらん、と促す。
あの扉を開けて入ってから30秒で目で入ったものを書いてみるといい。それでどんな文章が書けるかで、あなたが小説家になれるかどうかはわかると思うよ。
それを聞いて彼女は、本当に扉を開けてまた中に入り、離れた場所のカウンターに向かって何事かを猛然と書き始めた。
その様子をしばらく眺めていた津原さんが、くるっと振り向くと私に言った。
本当は、目で見えるものを書いただけじゃ、駄目なんですけどね。
その後で津原さんは、彼女にしばらくアドバイスをしていたように記憶している。何を話したのか、その女性が小説家になったかどうかは知らない。
津原さんを思い出すときいつも、あの言葉を口にした津原さんの、晴れやかな笑顔を思い出す。私の中の津原さんの遺影はそれだ。
さようなら、津原さん。