今抱えている仕事。レギュラー原稿×3、イレギュラー原稿×1(評論×1)。やらなければならないこと。の・ようなものの準備×1。ProjectMH×1。
明日から熊本に琵琶を聴きに行かなければならないので、目先の仕事を片付けるのに追われていた。かたわら、坂嶋竜さんとの「文庫大研究」も収録してえっちらおっちらYouTubeに上げる。気が付いたらチャンネル「杉江松恋」の登録者が990人になっていた。もう少しで千人だ。そのタイミングでハンドルの登録ができたという連絡が入る。チャンネル個々のハンドルが設定できるようになったのである。「杉江松恋」は@user-hontonazoでhttps://www.youtube.com/@user-hontonazoでもチャンネルに入れるようになった。
先日、第一回全国素人浪曲大会のことを書いたが、神保喜利彦氏から主催の光栄社は浪曲番付を作っている会社で、浪曲師の島津三蔵が主催者だと教えてもらった。たまたま手元に昭和四年の番付があったので見てみたが、なるほど、光栄社が作っている。手元の索引を使って唯二郎『実録浪曲史』を見たら、249ページに浪曲天狗連の記述があり、その中でも触れられていた。
大正から昭和にかけ、東京では寄席の余一(月末の休館日)や休日の銭湯、さらに貸席を借り切って天狗連が集まり、各所でのど自慢を行った。島津三蔵の浪曲三光栄社が浅草の金車でコンクールを行ったのもその一例である。昼間は定職を持ち、夜は飛び歩くので蝙蝠連などともいった。
なるほど。見落としていた。このページの記述によれば、浪曲天狗連によるのど自慢は明治のなかばまで遡れる由。