杉江松恋不善閑居 プロ野球発祥の地と鳴海・鶴亀2号

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元の鳴海球場。今は名鉄自動車学校になっている。

某月某日

朝いちばんで家を出るつもりが、果たせず。とりあえず原稿を一本書いて送る。勤務評定は0.5。6月末までに稼がなければならない額への進捗率は45.73%。それ以外にも連絡をしたりゲラを戻したり、いろいろやらないことがある。3日でも家を空けるのは大変なのだ。さて、今度こそ出発しようか、と思って支度を始めたら電話が鳴った。日本推理作家協会の事務局からで、選評がまだだという。そういえばそうだった。慌ててメモをまとめて書き、送ったら午後もかなり遅い時間になっていた。午後5時までに伯母宅に集合することになっている。慌てて支度をして飛び出した。本当だったらのんびり各駅停車で豊橋まで行って、そこから名鉄で鳴海駅まで、と思っていたが当然のようにのぞみ乗車で名古屋駅まで急行する。そこから名鉄で鳴海までは20分ほどか。

鳴海には93歳になる伯母が住んでいるのである。ときどき様子を見に行く。鳴海は東海道の宿場町として栄えたところで、藤田香織さんとの共著『東海道でしょう』でももちろん通った。あのときはゆでたまごをたくさんこしらえて、伯母が出迎えてくれたっけ。もう10年以上経っているので町も様変わりしている。鳴海は隣の有松とともに絞り染めで有名である。私は関心がないのだが、日本で最初にプロ野球で使われた球場があったのも鳴海で、1936年2月9日に東京巨人軍と名古屋金鯱軍が戦って、後者が10対3で勝ったという。

駅前に古本屋鶴亀2号ができている。ここは新古書店のような顔をしており、実際にそういう品揃えではあるのだが、漫画が異常に強く、最近のものだけではなくて1970年代の青年劇画なども充実している。モンキー・パンチ『ダァティ・ジョウク』1巻があったので一応購入した。一応、というのは持っている可能性もあるからだが、モンキー・パンチは見覚えがないコミックがあったら買っておかないと後で悔やむことになるかもしれないので仕方ない。駅から15分ほど歩いたところに伯母の家。元気そうでよかった。

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