(承前)
中京競馬場から名鉄で一路岐阜を目指す。昔は新岐阜といった名鉄岐阜駅に着いたのが午後1時過ぎ。ここから郡上八幡行きの高速バスに乗らなければならないのだ。一応バスターミナルに行って時刻表を見ると、14時35分頃の発車である。ということはあそこに行けるではないか。あそこに行かなければならん、と天が言っているぞ。
急いでバスターミナルを出て、タクシーを拾う。1km弱の距離だが、時間を節約するためだ。目指す場所は柳ケ瀬と呼ばれる繁華街の中にある。前回も来た古書店の徒然舎だ。名古屋で太閤堂書店の二代目だったご主人が、こちらに移ってきて構えた店であるという。前回来たのは3月31日。あれから1月半しか経っていないので、冷静に考えれば棚もそれほど変わっているはずがないが、そんなことはわかっている。1月半の間を置いて眺めた徒然舎がどれほどのものかを見てみたいと言っておるのだ。古書店は本の入れ替わりがどのくらいの頻度であるかを把握しておく必要がある。いい機会だ。
タクシーは5分ほどで到着。急いで店の中に入る。当たり前だが、前に来たときと棚の配置は変わっていない。あたりまえだ。違いといえば、前回は帳場前に置かれていた新着本の移動式棚が入口付近にあったことぐらいか。しげしげと見て歩く。さすがに1月半では大きな変化はないが、改めて見てみると充実した品ぞろえである。帳場の横に稀覯本のガラスケースがあって、前回来たときはおじさんがそれを開けて見せてもらっていた。聞くでもなく聞いてしまった話によると、表紙を見ただけだとなんでこんな高い値段がつけられているのかまったく理解できない本がある、どうしてそうなのか知りたいので見せてくれ、というのである。たぶん見ただけで理解できるとは思えないのだが、おじさんの気持ちはよくわかった。気になったのでそのガラスケース前に行ってみたが、おじさんの見ていた本はなくなっているような気がした。しまった、書名をちゃんと覚えておくべきだった。
結局、谷啓『ふたつの月』と由利徹『過激にオモシロ本』を買って外に出る。前回来たときにも見て、置いてきた本だ。両方ともダブりの可能性があるのだが、思ったより安かったので仕方ない。『過激にオモシロ本』のほうはぱらぱらと見たら気になる記述があった。由利徹の弟子として木村市政という人が入っていたが、実は元浪曲師でその当時の師匠は浪花亭奴だというのだ。え、知らない、そんな情報。その記述がある3ページのためだけでもこの本は必要だ。
時間通りに出た高速バスに乗って一路郡上八幡へ。ここで行われる郡上おどりには、いくつかの歌が存在する。河内音頭などと同じで、町々の角に舞台が出来、そこに囃子が入って、町民の中から我こそはという者が音頭取りになる形式である。盆踊りとして国の無形文化財にも指定されている。音頭のうち「松坂」は江戸時代初期に流入した伊勢神宮信仰に起源を持っていて、新潟の高田瞽女の持ち歌にもなっている。瞽女から習ったか、それとも流行り歌を瞽女が取り入れたか。私の関心事はそこである。もう一つ、「かわさき」あるいは「かがさき」と呼ばれる歌も伊勢が起源だが、これは18世紀に古市遊郭で流行ったほうの伊勢音頭が中京圏に持ち込まれ、流行歌として郡上に流入したものだ。実はそのことを伊勢に行ったときに知り、郡上で「かわさき」を調べる必要を感じていた。
バスに乗っていると、郷土資料館のすぐそばを通ったので急いで降りる。ここは近年になって作られた施設で、郡上おどり関係も含めた資料を多く蔵している。職員の方とお話しし、どんな資料があるかを教えていただいた。その中に郷土史家が自費出版した『歴史探訪 郡上踊り』という本があるという。道を下っていったところにある郡上八幡旧庁舎記念館ではそれを販売しているというので急いで行く。
その売り場で訊ねたのだが、残念ながら売り切れ。しかも調べてもらったところ、在庫そのものがなくなっているという。これは仕方ない。だが、話を聞くと、本を書いたのは町の大乗寺という古刹の住職であるという。ならば、直接頼んだら手持ちの本を売ってもらえるのではあるまいか。
別々に郡上八幡にやってきていたTさん、Kさんと合流して町を散策しつつ、大乗寺を目指す。独特の形状をした山門を持つお寺で、境内のたたずまいも美しい。ご住職の自宅を訪ねると、奥様らしい女性が出ていらした。訳を話すと、手持ちの本を分けてくださるという、。ご親切、誠にありがたい。住職は留守だったようなので、万が一に備えて名刺をお渡しし、大乗寺を後にした。強く望めばその本は手に入るものである。
(つづく)