起床して仕事をしていたら、猛烈な睡魔に襲われた。どうやら睡眠が足りていなかったらしい。自由業の気ままとて、そのまま布団に戻りたいという誘惑に駆られたが、なんとか我慢をして家を出る。東京古書会館で初めての試みとして萬書百景市が行われるのだ。電子で配布された目録はなんと200ページ近い。こんな充実した古書即売会はまたとないので、眠いなどと言っている場合ではない。
東京古書会館の地下は、見たこともないほど人でごった返していた。帳場にも長蛇の列ができている。立ち話を仄聞したところでは、カード会計も受け付けているらしい。けっこうな高額商品が出ているのである。また、普段は即売会に参加しない業者も参加しているらしく、混雑はそれが原因ではないか、と推測する人もあった。これも立ち聞きである。なるほど、10人に1人くらいの率で、鞄を抱えたまま会場に入ろうとして制止されている人がいた。万引き防止のため、鞄はどんな小さなものでも預けるのがルールである。それを知らない層が来ているということだろう。
香山滋『ゴジラ』48万円とか、虫プロコミックス版『オバケのQ太郎』全巻揃い25万円とか、目玉商品はたくさんあるのだが、なんといっても徳尾書店である。長谷川伸旧蔵書が出ているのだ。ふむふむ、こんな本があったのか。なんと、長谷川伸宛の為書きがつくとこんなに値が上がるのか、などとしばらく鑑賞する。
一応目録はざっと見てあって、万が一のためにン万円ほど下ろしてあったのだが、なんとか大金は使わずに済みそうである。そう思って入口近くに来たとき、足が止まった。1980年から1981年にかけての『コロコロコミックス』とその別冊が連番で並んでいる。揃いではなくて、バラである。ということはあれがあるかも、と見ていくと、あった。1980年冬の増刊号だ。この号に藤子不二雄賞第1回の結果が掲載されているのだ。ビニールで梱包されているので中は見られない。結果発表があるのはわかった。あとはアレが掲載された号かどうか、ということだ。値段を見たら1500円なので、買ってしまうことにする。
地下から1階に上がってすぐに確認する。あった。佳作を受賞したオムライス「ニャンコラ・キッド」である。思わず、歓声がこみ上げてくる。オムライスは元手塚プロダクションの堀田あきおの筆名だ。わたべ淳、高見まこ、石坂啓らと同期で『ブラックジャック』連載末期などの作品を担当した話は堀田の著書『手塚治虫アシスタントの食卓』に詳しい。その2巻にオムライス筆名のことが書いてあり、ずっと探していたのだ。ようやく手に入った。
これが見つかってしまえば勝ちは決定なので、あとは無理をせず、東京堂書店で仕事読書用の本を買って帰る。少し昼寝をしてあとは仕事。
仕事をしながら、2024年下期のスケジュールをなんとなく考えた。今年は著書が出ない予定だったが、急遽2冊刊行が決まった。単行本化の作業をしなければならない。その合間にやらなければならないのが。新しい試みである。
まだ形になっていないのでぼかして書く。今、あるジャンルに対して自分なりに貢献するにはどうしたらいいかを考えていて、思いついたことがある。ものすごく曖昧に言うと、そのジャンルがもともと持っている価値観やシステムは壊さずそのままにして、かつ、別の人が挑戦している試みとはまったく違う形で、新しいことを付け加えることはできないか、と考えた結果、ある事業が可能になったのである。この、先人を否定せず、同時代人とも並走できる、ということが非常に大事だと思っている。歴史の中で積み上げられてきたものには意味がある。伝統という言い方よりも、価値の蓄積と言うべきか。また、すでにいろいろな人が試みていることに対し、そんなものは無駄だ、とか、こっちのやり方のほうがいい、などと言うのは失礼だし、無根拠な批判になってしまうと思う。
だから先行者とは利害相反にならない形で、新しいものを付け加えるというのが大事なのだと思う。後から来た人間が、先にある財産を食いつぶすというのは駄目だ。それはすでにそこでがんばっている人のものである。そうではなくて、まったく新しいものを付け加える。前にあるものを一切損ねないで。それが歴史あるジャンルに参入する際に最低限必要な礼儀だと私は思う。ちょっと前に落語家になると自称した有名人がいたが、根本的に間違っていたのはそこだった。あれじゃあ、もともとある落語というジャンルを損ねることになる。そうではない入り方をする必要があると思うのだ。これは取得権益を持っている者がいるかいないかという問題ではない。ジャンルがあるというのは、そこに歴史があるということと同義だから、その時間の積み重ねに敬意を払うのは人としての筋だということだ。
そんなわけで挑戦中である。失敗するかもしれないので、成功したときだけ発表することにする。