起床したら8時を回っていた。若干寝坊気味である。調べたら、まだ間に合うことがわかったので急いで身支度をして外出する。千葉県東庄町に行くのである。
毎年千葉県では、老人クラブ連合主催で「なのはなシニア演芸会」が各地で開かれる。かつては浪曲がトリをとるのが定番で、故・玉川福太郎も呼ばれたことがある。一月半ほどかけて県内をぐるぐる回るのだ。しばらく浪曲の出演は途絶えていたが、2024年はひさしぶりに復活し、玉川太福が起用された。この日は休演で、代わりに昨年三代目を襲名した春日井梅鶯が出ることになっていたのだ。
三代目春日井梅鶯は、梅鶯節で一世を風靡した初代の弟子である。二代目は初代の娘が継いだが、その死後しばらく名跡が空位になっていた。それを昨年、春日井梅光を名乗っていた三代目が継いだのだ。三代目は諸事情から日本浪曲協会を辞めており、その活動が伝わってこなかったために襲名の事実が周囲に知られるようになったのは、かなり遅かった。千葉某所の寺院でそれが行われたと聞き、まず思ったのは、知ってさえいれば絶対に行ったのに、ということだった。そのとき果たせなかった三代目の梅鶯節を聴くという目的を、今回ようやく片付けることができる。
東庄町は本州最東端の銚子市から西に少し戻った場所にある。鉄道で行くと三時間近くかかるのだが、東京駅から出ている高速バスならその半分で着く。時間ぎりぎりになって東京駅八重洲口に来てみたのだが、東庄町を経由するはずの銚子行きバスが見当たらないのだ。JR職員に聞いてみても、そんなバスは存在しません、と心外そうな顔で言う。バカな、おかしい。そうこうする間に発車時刻になり、どこかにいるはずのバスは出てしまった。なんてこった。そこで冷静になって確認してみると、私が乗るはずだったバスはJRではなくて、京成だったのである。あ、それなら乗り場が違う。いくら待っても出ないはずだ。
やむなく調べる。バスだと間に合わないが、総武本線をゆく特急しおさいで銚子まで行くという手段があった。そうか有料特急を使えばいいのか。乗り場は八重洲口ではなく丸の内側の地下である。さっき自分が下りた丸ノ内線改札口からもほど近い。なんだ、延々と歩いて八重洲口まで来た挙句に乗り遅れて元の場所に戻ることになるのか。悄然と引き返し、地下ホームにて特急を待つ。ところがなんとこのホーム、特急券を売っていないのである。地下に降りる前にどこかで買わなければならなかったのだ。仕方ない、車内で買おう、と思って歩き出すと、車内で特急券をお買い求めの場合料金が異なることがありますのであらかじめご了承ください、とのアナウンスが。了承できるか馬鹿者。ホームに券売機を置け。
移動は問題なく開演1時間前に最寄り駅である笹川に着く。そこから20分ほど歩いたところに東庄町公民館はある。前に一度来たことがあるから知っている。向かおうとしたら、駅前に一軒だけある食堂のたなか屋が開いているのが見えた。よし食事である。空腹だったのでかつ丼セットを頼んだら、そばと丼、両方が全盛りという山田うどん方式で驚いた。筍の煮物とたっぷりの漬物がついて950円は安いと思う。勘定をしようとして帳場前に立ったら、神田愛山・玉川奈々福のパネルが飾ってあった。以前に奈々福・愛山・松之丞(当時)という座組で興行があったそうなので、そのときのものだろう。
とぼとぼと歩いて東庄町公民館にたどり着いた。あるある、「なのはなシニア演芸会」の看板が立っている。入口で当日券を買おうとしたら、どこの地区から来たのか、お名前と一緒に書いていってください、と言われた。東庄町から来たんじゃないんです、と答えると、では、町名を、と言われる。東京都からですと伝えたら驚かれた。当たり前か。
会は二部構成になっていて、前半が大神楽と浪曲、後半が民謡とものまね歌謡のショーである。丸一仙若・花仙が会場を温めたところで、満を持して三代目春日井梅鶯が登場。析が入らなかったのだが、思わず、待ってました、と声をかけた。心からの待ってましたである。何年間待ったことか。
お家芸の「赤城の子守唄」であった。そういえば、この外題をプロが口演するのを生で聴くのも初めてなのだ。春日井のネタは、今の浪曲木馬亭ではかからないから。これは残念なことだと思う。なんとか復活させてもらえないものだろうか。三代目梅鶯は初めて聴くが、節沢山の話を渋い声で語っていく。浪曲らしい浪曲で見事なものだと思った。まさか「赤城の子守唄」を会場で聴ける日が来るとはなあ。曲師は吉野雅樹。昔の名鑑で名前のみ見たことがある人で、吉野静の弟子という以外ほとんど何も知らない曲師である。衝立の陰だがお顔は拝見できた。そのために滅多に行かない最前列左に座ったのである。なかなかいい三味線だった。また聴きたいと思う。
本当は第二部までいたかったところだが、こっちは東京に帰らなければならない事情がある。中入りで失礼して笹川駅へ向かった。最終一本前のバスに乗るつもりである。
歩きながら調べているうちに気が変わった。笹川から佐原まで行けば、1時間半後に最終のバスが来る。その間街を歩けるのである。たしか佐原には武雄書店という未訪の古本屋があった、と思いついたらもう成田線に乗っていた。
佐原駅を南口に出て、そこから約1km。小江戸と呼ばれる風情のある街並みが人気だが、その中に武雄書店はある。店の前に大きなガラス窓があるのが特徴で、以前はそこで鯛焼きを売っていたこともあるらしい。今は倉庫として使われていて、縛られた本の束がごろごろしていた。
店頭に貼り紙があり、倉庫縮小のため100円以下の本を半額にする、と知らせてあった。入って納得する。なるほど、文庫棚が結構多いのだ。奥に長い店で、表裏ある二つの棚が間仕切りになっている。だから合計で三本の長い列になっているわけだ。いちばん面積を取っているのは歴史・民俗学関連の本だが、学術書というよりは雑書に近いものが多い。全集や戦前の本もあり、その合間を文庫棚が埋めているという感じだ。雑貨のたぐいもあり、金属製のブックスタンドまで売られていた。もともとは棚で使っていたものだろうが、縮小するので要らなくなったのだろうか。しばらく滞在して持っていない小沢昭一を買い、外に出る。雨が降ってきそうだから、と店主が店頭の本を片付けていたので、心配になって早めに退散したのである。バス停まで雨は降らなかった。