杉江松恋不善閑居 運命の岐路になる仕事というものがある

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某月某日

先週が外出ばかりであまり机の前に向かう時間がとれなかったので、決意と共に机に向かう。まずは午前中に読まなければならない本に集中し、終わったと同時に正午から原稿書き。まずは1本レギュラー原稿を上げる。続いてイレギュラーの週刊誌書評にかかり、夕方になって脱稿。すぐに送る。まだ余力がありそうだったので、もう一度仕事読書に戻り、午後6時まで。そこからまたレギュラー原稿を書き始め、なんとか7時半には終了した。合計で3本である。われながらよくやった。勤務評定は1.5である。これでかなり原稿料を稼いだので、6月末までに払わなければならない額の106.27%に到達、なんとかすべてやり終えることができた。だがよく考えると、預けてある本の倉庫保管料を払わなければならないことを忘れており、これも稼がなければならないとわかった。物入りだが仕方ない。これによって目標額は上積みとなり進捗率は91.75%となった。稼いでも稼いでも足りない。みんなビンボが悪いんや(プロジェクトA子)。

私の場合、衣食住のうち住は家のローンを完済しているので心配する必要がない。フリーランスで重要なのは食、ついで住、最後に衣の順番だと思うから、これは恵まれていると思う。今の家は築20年でそろそろあちこちにガタが出てきたので、年間でなにがしかを補修予算として計上する必要がある。それを妻と分けて負担しているわけである。それにしても毎月払う家賃があるよりはだいぶ気が楽だ。

フリーランスになる寸前に、『バトル・ロワイアル2 鎮魂歌』のノヴェライゼーション依頼があり、これは最終的に六ケタ売れた。その印税はすべて家の支払いに回したので、ローン軽減に役立ったのである。あれがなかったらフリーライター人生はだいぶ変わっていたように思う。ノヴェライゼーションの仕事をさせてくれた関係者みんなに感謝せねば。

運命の岐路になる仕事というのはこういう風に間違いなくあると思う。それがきっかけで世間に認められるようになる出世作というのも、その一つだろう。私の場合、低空飛行というか、世間に対してアピールすることにそれほどこだわらずにやってきた。わかる人にはわかる、という傲慢ともいえる姿勢だ。それでも後から考えて名刺代わりになった仕事は、当時の神田松之丞、現・六代目伯山の聞き書きで『絶滅危惧職 講談師を生きる』を書いたことだったと思う。あれだって、講談は別に専門じゃないから引き受けるのには勇気が要ったのである。

当時、新潮社で私の担当だったHさんが、落語を聴きたいのだが若手でお薦めはいるか、と聞いてきた。そのころは成金が全盛期だったので何人か名前を挙げ、ついでに講談師だけどこの人も聞いたほうがいい、と松之丞を推薦したのである。そうしたら彼女は松之丞の大ファンとなり、他がやらないうちに唾をつけておきたい、杉江さんもしインタビュー本を作るときは聞き手になってくれませんか、と言うようになった。ああ大丈夫ですよ、と言っていたら本当にそれを実現させてしまったのだ。そうなると編集者は私の仕事を当てにしているわけだから、断るわけにはいかないではないか。引き受けて、最初のインタビューで松之丞の伯山に、講談は素人ですがライターとしてはプロなのでできれば信用してください、と伝えた。そうしてくれた伯山の度量が大きかったのであの本はできたのである。これも、改めて当時の関係者にはお礼を言いたいと思う。

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