杉江松恋不善閑居 伊豆高原・new summer books

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某月某日

ぎりぎりまで仕事をして家を出る。金曜日だが、区の小学校PTA連合同期で、熱海に一泊旅行をする約束をしていたのである。こういう付き合いは大事にしないといけない。

それにしても、稀に見るほどの豪雨である。風も強く、お猪口にされることを考えてビニール傘を選んで持っていく。仕事は終わらずで、勤務評定は-1.0。まあ、これは仕方ない。

東海道本線に乗って、とりあえずまず藤沢駅で降りる。駅前のフジサワ名店ビル内で、今日からフジサワ古書フェアが開催中なのだ。初日に行けることは珍しく、これも何かの導きだろうと建物の四階まで上がっていく。奥に長いスペースを使った売り場を見ていくと、ほらあった。改造社の世界大衆文學全集が表紙なしの裸本だがごろごろしている。その中からP・G・ウッドハウス『新聞記者スミス』、エドガー・ウォーレス『正義の人々』、シドニィ・ホルラァ『秘密第一號』を拾う。一冊550円だ。ウッドハウスは間違いなくダブりなのだが、誰か持っていない人がいれば引き取ってくれるだろう。ウォーレス『正義の人々』は連作で、たしかこれでしか邦訳が出ていないものが入っていたのでは。ホルラァはこれしか邦訳がないが多作で、生涯に150冊もの本を出している。英版ウィキペディアを見ると、反ユダヤ主義者として批判され、LGBTQ関連での蔑視発言もひどかったようなので、このあと翻訳される気遣いは皆無だろう。

それと一緒に通商産業省『保安のしるべ』という冊子も買う。炭鉱向けの安全施策ガイドで漫画仕立てになっている。作画が誰か気になるし、地下に関心がある人なら間違いなく買いだろう。これが200円なのはただのようなものである。

藤沢を出て東海道本線をさらに西へ。熱海駅が最終目的地なのだがちょっと寄り道である。伊東線、伊豆急行線と乗り継いで伊豆高原駅まで行ってしまう。実はこのあいだ、某社編集のI氏から、伊豆高原に新しい古本屋が出来ているとの情報を得ていたのだ。それは聞き捨てならない。そしてこの前夜、数少ない静岡県の未訪店だった壺中天の本と珈琲の現況を調べたところ、5月20日にご主人が急逝され、閉業したことを知ったのであった。なんということだ。

風雨はますます強くなっていく。駅からは上り坂を1.2kmというところでそんなに遠くはないのだが、この雨では如何ともしがたい。やむをえずタクシーで行くことにした。1メーターを超えないところで降りる。丘の中腹にぽつぽつとモダンな雰囲気の建築があり、その中に目指すnew summer booksが店を開けていた。おお、あった。本当にあったぞ。

店内に入るときには靴を脱いでスリッパに履き替えることになっている。女性の店主が出てきて、応対してくれた。東京からこのために来た、と言うと、この雨のなかをわざわざ、と驚かれる。そりゃそうだ。

店内はそれほど広くないが、中央に新刊と伊東市由来の作家を集めた平台、壁際に櫛状に棚が並べられていて、見やすい作りになっている。宮沢賢治や芥川龍之介の稀覯本を入れたガラス扉の棚は、もしかすると売り物ではなかったのだろうか。聞き忘れてしまった。棚と棚の間に椅子が置いてあり、座って本を眺められるようになっている配慮がとてもありがたい。立ったり座ったりして棚を見ていると、時折起立性貧血になることがあるのだ。民俗学や海外文学などで見るべき本が多かった。民俗学のジャンルから山田亀太郎・山田ハルエ『山と猟師と焼畑の谷 秋山郷に生きた猟師の詩』(白日社)を買う。600円と安めの値付けなのはカバーが少し破れているからだろうか。こちらは猟師の本を読みたいだけなので問題ない。さらに、ふるさとごはん会編『私の作る郷土料理』(マガジンハウス)とさくらももこ『ひとりずもう』(集英社)を手にして帳場に向かう途中、平台に山本善行・清水裕也『漱石全集を買った日 古書店主とお客さんによる古本入門』(夏葉社)があったので、これも買う。古本好きが昂じて京都に善行堂を開いてしまった山本さんの本は、可能な限り読むことにしている。

お勘定をしてもらいながらいろいろ雑談をする。この店ができたのは2023年で、店主はもともと伊豆の人ではなく、それまでは東京都にいらっしゃったそうだ。亡くなってしまった壺中天ご主人の話をしていると、『iz』というミニコミ誌をくださった。壺中天のご主人編集で1年に1冊出していたもので、4月に最新号を出したあとで急逝されたのだそうだ。あとがきを見ると体調不良のことなど書かれていて、しんみりさせられる。大事に読もうと思う。

店を出ると雨が一時的におさまっていて、これなら歩けそうだと思った。坂をひたすら下って伊豆高原駅へ。熱海行きがちょうど来る。熱海駅から海風に吹き飛ばされそうになりながら歩き、今夜の宿へ。PTA仲間と再会する。大食堂で宴会となり、その後は部屋飲みで仕切り直し、という話だったのだが、自室に戻ったところでとんでもない眠気に誘われ、横になったら11時半まで目が覚めなかった。仕方なく朝まで寝ることにする。

『保安のしるべ』。この絵柄、知っている気がするんだけど、誰だろうか。

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