午前中に外出し、都内某所へ。酒井貞道さんと「翻訳マッハ!」の収録である。始まってから半年経つが、いつもリモートだったので対面でやるのは初めてだ。某マンション前で落ち合って中に入る。ここはセキュリティの管理が厳しく、ちょっとおもしろい方法での入室となった。中は非常に綺麗な空間で、普段は女子会などに使われているらしい。酒井さんが黒衣の衣装に着替えてくると明らかに場違いである。監視カメラで見られていないことを祈りつつ、収録を行う。
終了後、酒井さんと別れて私は新宿三丁目へ。先月急逝された道楽亭席亭・橋本龍兒さんのお別れ会が開かれているのである。11時からなのでまだ人も少なく、席亭のおかみさんにご挨拶もできた。このあと帰り際に古今亭菊之丞さんとすれ違ったが、続々と芸人が詰めかけて橋本さんとの別れを惜しんだようである。私は道楽亭と深い関係にあったわけではないので、早々に失礼して正解だった。私のようなものが長居すべきではないだろう。
道楽亭といちばん縁があったのは、まだ電撃座という演芸の席を手伝っていたころだ。最初は道楽亭を借りてイベントを開催したんじゃないだろうか。あのころは貸席もやっていたと記憶する。そのうちに井田氏が常時開催の店舗を持つと宣言し、旧三光町の古いビルに会場を借りた。ちゃんこ屋を改装した店舗で、下が文壇バーで名高い風花だった。二階のもう一室はホストの合宿所になっていた。電撃座は井田氏の努力で綺麗に保たれていたが、老朽化は否めず、頻繁に鼠が出るなど問題があった。それを嫌って、別の場所に寄席機能を移転したのである。
至近距離に類似の場所ができたということで、最初は橋本さんからかなり警戒されていたと思う。もっとも毎日興行を打てるほどの余裕も、人脈もこちらにはないので、敵ではないと早々判断されたようである。私は席亭と名乗れるほどの働きがあるわけでもなく、緊張関係も別に気にせず、道楽亭に客として出入りしていた。橋本さんは電撃座にはほとんど来なかったが、一度だけ足を運んでくれたことがある。打ち上げのさなかにその日の出演者をくどいて道楽亭で会を開催する約束を取り付けていたので、どうもそれが目的だったようである。そんなわけで、ちょっとだけ戦友のような気持ちがある。私は早々と電撃座を去り、以降は客として以外の接点はない。
あまり深く話をしたことはないが、あの場所でずっと店を続けていく苦労は、少しでも似たような仕事に携わった者としては察するところである。最後まで演芸好きでいてくださったことを他の観客とともに感謝申し上げたいと思う。お疲れさまでした、橋本さん。さようなら。
帰宅して2本原稿を書き、送る。勤務評定はこれで1.0。6月末日となったが、この日までに稼がなければならない額への到達率は99.31%となった。数千円だがわずかに及ばず。しかし仕方ないところだろう。よく頑張った、と自己評価としては及第点をつける。
7月度に稼がなければならない額の目標設定もした。そこに向け、また粛々と頑張る。