浅草木馬亭にできれば行きたかったのだが、数日前からずっとかかっている文庫解説原稿が終わらず。書きたいことははっきりしていて量もぴったりのはずなのに、なぜかそれを表現するための文章が出てこないというもどかしい状況が続き、夜になってしまう。池袋コミュニティカレッジの講師仕事があるので外出し、戻って疲れ果てて寝てしまう。結局朝になってすうっと体を縛っていた見えない綱のようなものが外れ、一気に書き上げることができた。1時間でできた原稿だが丸二日くらいかかっている。
原稿が終わるのとほぼ同時に家国推理作家協会(CWA)の賞決定ニュースが入ってきた。イアン・フレミング・ダガーの最終候補作となっていた伊坂幸太郎『AX』(訳題:The Mantis)は惜しくも落選した。『マリアビートル』のアメリカにおける映画化に続く、快事であったが残念な結果に終わった。
実はここ数日で複数社から、受賞を果たした場合の予備取材を受けていた。お蔵入りになるのだろう。それはかまわない。伊坂幸太郎を褒めたたえる記事を読みたかったな、と思う。
『AX』は『グラスホッパー』『マリアビートル』と続く殺し屋ものの第三作で、このあとに『777』がある。主人公は殺し屋だが、極端な恐妻家という設定である。その落差のおもしろさがユーモアを醸し出す仕掛けで、笑い好きの英国人にはまずそこが受けたのではないかと思う。イアン・フレミング・ダガーの過去受賞作を見ると、結構な大作が並んでいることに気づく。『AX』は家族の物語であり、それら大作と比べると愛すべき小品という印象だが、話の規模には負けない構成の妙味がある。既読の方には説明するまでもないことなので略す。英国読者も、あの展開にはびっくりしたのではないだろうか。謎解きの論理だけではなくプロットの意外性、スリルやサスペンスだけではなくオフビートの笑いで読ませる作家である伊坂幸太郎の、真骨頂ともいえるのが『AX』だ。こういう凄い作品が伊坂幸太郎にはいっぱいあるんだよ、と英語圏読者にはぜひ訴えかけたい。
もう書いてしまっていいだろう。伊坂幸太郎作品については、以前にアメリカ進出のお手伝いをしようとしたことがある。今は亡き講談社インターナショナルが日本作品を翻訳して輸出するという事業をしていて、文部科学省だか文化庁だかから、それについての助成金が出ていたのである。お金をもらうためには申請根拠が必要になる。そのための識者推薦文を書いてもらいたい、という話があり『ゴールデンスランバー』について、以下のような文章を提供したのである。全文を以下に引用する。
伊坂幸太郎が2007年11月に発表した長篇『ゴールデンスランバー』は、現時点における作者の最高傑作であるとともに、日本のミステリー・犯罪小説が到達した水準の最高点を示す作品である。
はじめに技巧面を述べる。日本のミステリー作家は「いかに無駄のない機能的な文章で物語を綴るか」という点を重視し、約半世紀の間研鑽を重ねてきた。そうした追求を行った目的は、ミステリー・犯罪小説を単なる読み捨ての三文読物として軽視せず、十分に高い教養を備えた読者に供しても恥ずかしくない、知的興奮を与えられる小説として練磨するところにあった。機能的な文章とは、読者に対する情報開示が無計画に行われるのではなく、作者の意図が最も効果的に伝わるような形・瞬間を狙って劇的演出を行うものである。『ゴールデンスランバー』は、冤罪事件の主犯として追われる人物を主人公として、読者の意識を完全にコントロールしている作品である。読者の感情を掌中に収めるだけではなく、伏線の技法を効果的に用いて、読者に間断なく驚きを与えることまでやってのけているのである。小説の最初から最後まで中だるみするところもない。技巧面ではほぼ完璧なミステリー・犯罪小説である。
ストーリーは、あえて一九六三年十一月二十二日のジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を模している。JFKにあたるのが日本の総理大臣であり、彼を暗殺したという身に覚えのない容疑を着せられ、主人公は逃亡することになるのである。JFK暗殺は言うまでもなく世界でも最も知られた要人暗殺事件であり、その真相をめぐって今なお陰謀論を唱える者が後を絶たないことでも知られている。注目すべきは本書の構成で、最初に世間一般の目から見た事件、すなわち主人公が犯人であるかのように見える事件の様相を描き、続いて冤罪の被害者である主人公の視点に移るという形をとっている。意識されているのは、マス・メディアによる犯罪報道被害などの高度情報化社会特有の恐怖だろう。個人情報が生命と同等の価値を持つ現代では、ある個人をペルソナ・ノングラータに祭り上げ、社会的に抹殺することは容易いことなのである。そうした、まったく新しい形で行われる人権蹂躪、個人の尊厳の侵害の形を描いた小説である。理不尽な情報の暴力に立ち向かう主人公を描くことで、作者は現代に生きる人間が持つべき勇気のあり方を示しているともいえる。
精緻な技巧によって、現代社会の暗部をカリカチュアライズしてみせた諷刺の小説である。ミステリー・犯罪小説がこうした高みを獲得することができるという可能性については、一部の意識の高い例外を除けば、欧米には自覚している作家はまだ少ないはずだ。『ゴールデンスランバー』の優れた点は、こうした練りこまれたテーマを備えた作品でありながら、ハリウッド的な娯楽大作の文法に則って物語の外観を設計していることである。高い技巧性と最初に書いたが、そうした技術の冴えを読者に意識させることなく、また言語・文化の違いによって忌避されることなく、すべての読者に受け入れられるだけの普遍性を備えている。日本の小説が、エンターテイメント性の面でも世界水準にあることを示す上では、この上ない恰好のサンプルとなるはずである。
伊坂作品が世界の読者に向けて発信されることを、日本小説を愛する者として願ってやみません。
2009年11月25日
文芸評論家 杉江松恋記す
ここまで。
珍しく文芸評論家の肩書をつけているのは、そのほうがはったりが効くということだったと思う。普段は書評家、もしくはライターだから。
この結果がどうなったのかは知らない。私の文章に効果があったのか、なかったのか。もう15年も前の話なのか。
なぜ伊坂幸太郎だけが歴史ある英国推理作家協会で評価され、文学賞の最終候補になったのか。日本の出版界はきちんと分析し、向後に活用すべきである。どこが英語圏の読者に受けたのか。日本語で書かれた作品のどういうところが理解されやすく、どこが受け入れられないのか。
国内の読者を振り向かせることも大事だが、海外市場に割って入ることこそ喫緊の課題である。これは作家個人では如何ともしがたく、出版社という組織の力が必要になる。いや、本当のことを言えば、一企業でも難しく、本当は行政が支援をすべき段階に来ていると思う。本当にクールジャパンをやる気があるなら、それをやれ。伊坂幸太郎に学べ。
勤務評定、原稿を送って0,5、自分以外の原稿売り込みをしたので1.0。合わせて1.5。また7月末までに稼がなければならない目標額への進捗率は、送った分の原稿料を入れて17.33%となった。