杉江松恋不善閑居 捨てる神あれば拾う神あり

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某月某日

まだここで言うわけにはいかない会議が15時からあり、それの準備に没頭させられた。終了後は関係者と懇親会があり、ほどほどのところで切り上げて帰宅した。

そんなわけであまり書くこともない一日だったが、原稿も一本書いている。勤務評定は0.5。8月末までに稼がなければならない金額に対する進捗率は1.23%でまだ全然進んでいない。このままだと9・10月の収支が恐ろしいことになるので、頑張って仕事をしなければいけないのである。

Twitterにも書いたのだが私は、執筆者と出版社との協同関係を維持できるならばそれに越したことはないと考えている。最近はセルフパブリッシングなど、出版社に頼らないで本を出すことを選ぶ人が増えている。その一方でテレビドラマ化を巡る騒動など、出版社の体制が硬直していて、執筆者の利益を守ってくれていないのではないかという疑念が囁かれてもいる。一部にそういうことがあるのは確かだろう。著書の売り方一つをとっても、取次を方式は消費者の要求を十分に満たすものとは言い難くなっているし、大量に刷って大量に配本する時代のありようは変えていかなければならないことは確かである。

そうした変革の流れがあることは承知の上であえて、大手を始めとする既存の版元に企画を持ち込むことに今は活動の基本を置こうと考えている。なぜならば、それらの会社に蓄積されているノウハウと人を信頼しているからである。会社は信用できなくても、信頼できる人がそこにいる、という相手は多い。その人たちとの縁を大事にしながら仕事をしていくというやり方が私には合っている。

もちろんフリーランスにも人材が多いことは承知の上で、会社に属しているから無条件に相手を信用できるというわけではない。ただ、既存出版社の財産としてあるものを利用しない手はないと思うのである。仕事をしなければそれらの版元にいる人材は暇を持て余して腐り、去っていくことになる。そうなればこれまでのノウハウは継承されなくなってしまうだろう。それは非常に危険なことだと私は思っている。あれらの人々がいなくなったとき、どうやって本は作ればいいのだろうか。

出版社がアーカイブの機能を持っていることも重要で、そこには蓄積された文化財産がある。図書館が無料で本を貸し出しする場所ではなく、図書にまつわる文化を保存するために必要な施設であるのと同じで、出版社は単に商品としての本を出すだけではなく、それにまつわるもろもろの物事を蓄積するための場所だと私は考えている。著書は単体で存在するのではなく、そうした背景にあるものの反映としても世に出るのである。この業界に携わる人間の一人として、残すべきものは残すための努力をしたいと思う。

こうした考えに賛同する人は、それほど多くないはずである。きれいごとだと笑う人もいるかもしれない。それはそれで構わないわけで、私も自分で自分の面倒は見られるぐらいにはなっているので、食うために信条を曲げる必要もなくなっている。誰でもいいというわけではなく、考え方に賛同してくださる出版人と今後は仕事をしていきたいということである。こつこつ歩き回って企画を持ち込んでいる経験から言えば、世に案外人は多いものだと私は思う。あまり捨てたものでもない。

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