杉江松恋不善閑居 北上次郎さんのこと&立川寸志、通算1000人のお認めで真打になります。

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某月某日

松浦四郎若2daysの余韻覚めやらぬ中、仕事に復帰する。何があっても書かねばならぬ。書かなければライターではないのだから。〆切の迫った原稿を一本送り、なんとか恰好をつけた。10月に稼がなければならない金額はちょっと多いのだが、なんとか初日で4.4%は叩きだすことができた。微々たる額だが前に進まないよりはましである。

前にも書いたことがある。故・北上次郎さんが同業者を、書評家型、評論家型、書誌学者型などと分類したのだが、私は評論家型に含まれていた。その時点で評論の著作はまだなかったわけで、自分自身としては納得のいかない分類だった。北上さんの周囲にいる中で、私ほど書評家にふさわしい人間はいないだろう、とも思っていたのである。だが、北上さんとは本の趣味がまったく違うし、考えている書評家の定義が違ったのだろう。

北上さんは感激家の言を好んでいたように思う。ただ、ばんばん机を叩きながら気持ちを煽るような書きぶりは、私がもっともやりたくないことである。自分の感動を生で伝えるのはたしかにわかりやすいかもしれないが、それをやったら職能の技芸ではない、と私は考えるのである。感激家の感想は書評にあらず、というのは物言いとしてきついかもしれないが、本音として思っている。生の感想に見えるものでも、書評として成立している文章には構想があり、表現の企みが必ず入っている。実は北上次郎こそ、そうした技芸の持ち主なのだ、ということは追悼特集のときにも書いた。みんなあの熱弁だけを記憶しているが、北上次郎の本質はその激情をわかりやすく伝える文章の抑制にこそあるのだぞ、と。

それはともかく、北上さんは尊敬すべきライターであった。あの、すぐ仕事をしてしまう体質。おかしな言い方だが、北上さんの手帳を見せてもらうと仕事の予定がぎっしり書きこまれている。いつ本を読んでどこの原稿を何日までに書くか、ということがかなり前に決められているのだ。あそこまで徹底して予定を立てる人というのも珍しい。時間が余ったりすると、〆切はだいぶ先なのに原稿を書いて送ってしまうこともあった。編集者は驚いたと思う。あの時間を仕事で埋めていく姿勢はライターのお手本だった。北上さんはご存じのとおり競馬が趣味だったので、その時間を確保するために知恵を絞っていたのだろう。趣味と仕事を両立させるやり方も見習いたいものである。

さっきの分類の話に戻ると、北上次郎こそ典型的なプロ・ライターだったと思うのである。もちろん優れた編集者でもあったのだろうが、そちらはよく知らない。プロの書評家であったのは間違いないが、姿勢としてはライターとしてのプロだったな、と今にして思う。ああいう徹底ぶり、世間がどういう方向に流れようと、自分のできることだけを誠実にやっていくという姿勢を尊敬する。私の中に書評家・北上次郎の遺伝子はまったく入っていないが、ライター・北上次郎のそれは幾分か継承されていると思うのである。どんなものですかね。

昨夜は内幸町ホールにて立川寸志の独演会であった。お客さん1000人に認められたら真打に昇進するというプロジェクトの第3回である。開口一番は立川のの一で「狸鯉」、寸志は「井戸の茶碗」、中入を挟んで「くしゃみ講釈」でお客さんの認定書回収に移る。立川寸志を真打にふさわしいと認定する、という署名がのべ1000枚集まったところでゴールなのだ。集計の間にトークゲストとして呼ばれたのが元兄弟子であるナツノカモで、寸志の発声法についてとても実のあるアドバイスがあった。いいトークだったと思う。集計後、1000人まではあと529人という結果が発表される。

この分だと来年中には1000人は集まるだろう。年が押し詰まってからの昇進は忙しいから2026年、落語協会・落語芸術協会の昇進披露目興行の前後どちらかでの昇進ということになるのではないか。夏かな。暑いから春か秋のほうがありがたいな、などと考えながら帰路についた。がんばれ、寸志さん。

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