杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。
画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)
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その2「俺の人生にも1度くらいこんなことがあってもいいだろう」(長州力)
今回は、なんで私がトークイベントにこだわるのか、という前段のお話を少し。
これから紙の媒体は無くなっていくという。人間には「そうなる」と思いこんだものの動きを加速させてしまう妙な能力があるので油断は禁物だ。いや、もう少し変化はゆっくりでいいんですけどね。あと100年くらい今のままでは駄目なんですかね。どうしてそうせっかちになるのかな。
したがってライターは、媒体が「紙」ではない他のものになったときに、自分が抱えている仕事はそのまま残せるのだろうか、ということを考えなければいけなくなっている。まだ雑誌文化が健在だった10年前、私の仕事は雑誌記事が中心だった。文庫解説などの仕事はまだそれほどもらえておらず、文学賞の下読みもあまりなかった。もらっている金額順で言うとこんな感じだったと思う。
「雑誌記事:インタビューや特集記事構成」6割
「雑誌記事:書評」2割
「文庫解説」1割
「文学賞下読み」1割
10年間経って、この順位は大きく変わった。
「文学賞下読み」3割
「文庫解説」2割
「雑誌記事:書評」2割
「雑誌記事:インタビューや特集記事構成」2割
「ノベライズなど書き下ろしの印税」1割
ちゃんと確かめたわけではないが、こんな感じだと思う。10年前にはやっていなかった書下ろしが増えているが、100万円以上の印税が入ったことは1回しかない。そのときは稼がせてもらったが(まあ、一度くらいはいいじゃないですか)、定収入として見込むには危険であることは確かだ。書評の仕事はいったんグンと増え、一気に減った。増えたのはがんばって営業をしたからで、減ったのは雑誌の休刊が相次いだせいである。それと同時に、書評以外の雑誌仕事も減っていった。幸いにして下読みと文庫解説の仕事が増えていたため、大きく収入を減らさずに済んだ。飛び込みの仕事も含めればほぼ横ばいだが、もし「ミステリー小説」という専門がなければ大きく減収になっていた可能性は大きい。「下読み」や「文庫解説」はその専門がらみでお話をいただくことが多かったからだ。
さて。
10年後に紙媒体がほぼ無くなり、すべて電子の世界に以降したとする。そのとき、上の仕事で残っているものは何だろうか。
まず怪しいのが文庫解説だ。文庫に解説がつくのは日本独自の出版文化であり、電子書籍にそれが継承される保証はまったくない。
雑誌書評もちょっと疑問符がつく。なぜかといえば、今の紙媒体の書評はアカデミズム-アカデミズムに属さない文化人―文化人を事象しないライターという3層構造のヒエラルキーによって支えられており「読者に対して本の紹介をするため」という本来の要素に加えて「ヒエラルキーを維持するため」に定期的に書評枠を作っている、というのが実態だからだ。私のようなライターはこの構造のおこぼれをいただいているわけである。これは書評文化が未成熟であるためで、専業ライターが育って、それだけで食べていけるようにならなければ、いつまでも構造は変わらないだろう。このヒエラルキーは一種の幻想である。幻想はいつか泡となってはじけ飛ぶ可能性があるのだ。そうなると10年後には今のような「書評」枠はなくなっているかもしれない。いや「書評」はなくならないだろうが、それに出版界がお金を払わなくなっているかもしれないのである。ひえー、これもなくなるのか。
そうなると残るのは、その他の雑誌記事だろう。私は雑誌という機能は電子化が進んでもなくならないのではないかと思っている。立ち読みに適した媒体で、受け手が自分の好きな部分だけをつまんでいくことも可能だからだ。10年前に私が書評を増やし、その他の雑誌記事の比率を相対的に減らそうと考えたのは、自分の専門性を活かせるような記事を書けることが少なかったからである。いくらか知名度も上がった今では、逆に自分からおもしろい雑誌記事を作って売りこんでいったら、出版社に買ってもらえるようになっているのではないか。もしかすると、それがきっかけで書き下ろしや単独の著作を出すことができるかもしれない。
というわけで10年後の青写真は、以下のようなものになる。未来のことすぎて鬼が笑い死にしているって? ほっとけ。
「雑誌記事:書評の要素を中心にしたもの」5割
「書き下ろし」3割
「文学賞下読み」2割
大事な点は書評のヒエラルキー構造から自分自身を切り離し、独自の立場を確立することである。その上で書評が「記事」としてのおもしろさを確保できればいい。インタビューの要素は、私のようなライターの場合あまりお金にならなくなるのではないかと思っている。作家自身が自ら情報発信を始め、出版社がその代理人を務めたりするなどして、フリーライターを介さない記事作りをするようになるのでは、という見通しがあるからだ。
さて、この構造へどうすれば自分自身を持っていくことができるのか。というかこれは、ここまで10年間かけてやってきたことを全部捨て、人生をやり直すのに近くないか。できるのかそんなことが……と不安になったところでちょうどお時間に。実はトークイベントをやる、という選択にその不安を解消するための鍵があるような気がするのだが、それはまた次回ということで。
今回の「実券予定」(当時)※省略
(つづく)