杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。
画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)
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その3「破壊なくして創造なし」(橋本真也)
前回は、ライターが10年間同じことをやってお金が稼げる時代はもう終わった、ということを書いた。いや、正確に言うとそうではない。ライターがずっと同じことで食べていけた時代なんてそもそもなかったのだと思う。
ライターは体力勝負の仕事だ。誰もが最初は若手としてスタートを切り、そのうちに(運のいい者は)自分の得意分野を発見する。その方面でしばらくは食いつないでいけるので夢中になって仕事をする。そしてあるとき「もう若手ではない」自分を発見して驚愕するのである。「もう若手ではない」は同時に「第一線では稼げない」を意味するからだ。
先日、「DIAMOND ONLINE」に「低収入でもめげずに、たこ焼きバイトで食いつなぐ?
時間と体力を消耗する43歳フリーライターの悪循環 ――フリーライター・浅見敦さん(仮名)のケース」(吉田典史)という記事が載った。登場しているフリーライター氏は政治や社会政治が専門というので私の職域とはあまり重ならないが、ぞっとさせられたのはその年齢である。43歳! ほぼ私と同年齢なのだ。私は今年で44歳だ。おお、同じ学年かもしれないじゃないか。何中だよ!
そのフリーライター氏は仕事の切り替えが巧くいかず、減った収入をたこ焼き屋のバイトで補って暮らしていると紹介されていた。うう、身に覚えは、ある。幸いライターとして生活するようになってからはないが、コンビニエンスストアなどの求人貼紙を見て「お、案外時給高いな」などと思ったことは何度もある。学生時代はレジ打ちなどの販売職や、引っ越し屋などの肉体労働を好んでよくやった。あれをもう一度やれば、ライターで仕事ができなくなってもしばらくは食いつなげる。そう考えることが精神安定剤になっていた時期もある。夜中にふと「自分はこのまま仕事がなくなってしまうのではないか」「もう編集者に邪魔だと思われているのではないか」という考えが浮かび、大声で叫びたくなるのだ。いや、その前に背筋が寒くなり、全身の震えが止まらなくなる。怖くて仕方がないのだ。そういうときに「いざとなったら引っ越し屋が」は大いなる安心材料だった。
でも現実は厳しい。40の峠を越え、バイトをやりながらライターを続けるというのはとても厳しいことなのだ。現にこの記事に取り上げられたフリーライター氏も、たこ焼き屋のバイトのために疲れきり、原稿どころではないという心情を語っている。そうだ。引っ越し屋をできたのは20代のころだったのだ。今となってはきっと。うわ、ジムに通わなくちゃ。いや、努力すべきはそこじゃないだろうって!
吉田典史はこう書いている。同業者にとっては辛い指摘だが、しっかり読まねば。
――43歳という年齢も考えないといけない。そろそろ、30代半ばまでくらいの編集者が仕事を依頼しにくい年だ。いくら依頼主と言っても、自分よりも一回り上の人に指示は出しにくいからだ。それに加えて、編集者の若返りを図る会社も増えている。40代以上のライターが書ける場は、確実に減っていく。
同じ年齢だからではないが、まるで私に言われているみたいだ。私に言われているみたいだぞ。吉田典史に何か恨まれることでもしたか。泣くぞ。いいか、泣くぞ。
……泣いても仕方ないから現実を直視することにする。これは真実だ。誰でも若いうちは同じような年齢の人間と仕事をしたいものである。振り返ってみれば私だってそうだった。20代のときに、20代の編集者に引き上げてもらって仕事を増やしてきたのだ。ということはそうである。その人たちが他部署に異動し、あるいは偉くなって現場を離れたときには同じことが起きるということなのである。20年前の私のようなライターが、ひたひたと後ろからやってくる。その場所は俺のものだからどいてくれ。そう言われる瞬間が近づきつつある。
そうならないために。
そうならないために次の手を打つということが大事なのだ。頭ではわかっている。しかし、それは何なのだろうか。子供のころから本ばかり読んできて、本に関する文章を書く以外になんのとりえもない人間に、事態を打破するような一手というのは打てるのだろうか。
上の記事で吉田は43歳フリーライター氏(何度も書くけど、たぶん同い年なんだよなあ)に編集プロダクションに潜り込むことを勧めているが、私はその選択をとれない。他人と机を並べて仕事をするのが大の苦手だからだ。そんなことをするくらいだったら元いた会社は辞めなかったと思う。
では、どうするのか。
今まで自分を引っぱってきてくれた編集者がいなくなる=自分の仕事がなくなる、なのだとしたら、とるべき方策は「新しい編集者とつきあう」だ。もっと正確に言うならば、「新しい編集者が寄ってきてくれるだけの、新しい何かを身につける」ことである。文章を磨き、そろそろ底をつきそうになっている知識や教養を仕入れる。当たり前の努力である。
だがしかし、それ以外にもしなければならない何かがあるはずだ。ないはずはない。あるはずだ。それをできなければ、仕事が減っていくという状況に甘んじるしかない。
あるはずだ、何か。
思い至ったのが「今までの自分を壊す」ということだった。
そうだ、壊すしかないじゃないか。
(つづく)
今回の「実券予定」(当時)※省略