実券でヨロシク4 「こんなプロレスをやっていたら、10年もつ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない」(アントニオ猪木)

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〈赤色バニラ〉くまさん・画

杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。

画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)

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ちょっと昔の話をさせてください。

私が物書きとしていちばん稼いだ年は、映画「バトル・ロワイアル2 鎮魂歌」のノベライズをやった2003年だ。さすがに売れて、担当編集者から「杉江さん、これだけの印税が入っちゃうと、税金でごっそり持っていかれちゃいますね」と心配されたくらいである(実話)。幸い、心配していたほどは売れず、税率も払えないほどではなくなった。危うく、企業で言うところの黒字倒産をするところだった。その代わり、年収が1000万円を超えてしまい、翌年からえらいことになったのである。消費税を払わなければいけないからだ。ご存じのとおり消費税納入が義務付けられるのは1000万円超の収入(利益ではない)がある事業者だけだ。それも1000万円の収入があった年ではなく、翌年から2年間にわたって義務が発生する。翌年の収入が100万円でも5万円払わなくてはいけないのである。当然のことだが2004年には前年ほどの収入はなかったので、出ていくお金の多さに歯噛みさせられることになった。まあ、義務なんだから仕方ないんだけどね。

以来2003年を上回る年収を得たことはない。そのため私の名刺には今でも『バトル・ロワイアル2』のエンブレムが刻印してある。それから得た収入を上回る仕事を自分がしたら、それに付け替えるつもりなのだ。いい加減10年が経つから、付け替えたいんだけどなあ。

「バトル・ロワイアル2」の仕事で、私は大事なことを2つ学んだ。1つは「財務会計をちゃんとやらないと、個人事業者でも損をする」ということだ。もう1つは「仕事を断ってはいけない」ということ。『バトル・ロワイアル2』の仕事は、かなりスケジュールの無理をしてやった。ちょうど今の家に引っ越す時期にも重なっており、健康をすり減らすような形の突貫工事で書いたのである。汚い話なのだが、生まれて初めて痔にもなった。1日20時間近く座卓に座りっぱなしで書いていたからだろう。今の家に引っ越してきて、身体に無理をさせないデザインの椅子に買い換えたらすぐに治った。そうまでしてもやる甲斐のある仕事だった。

「仕事を断ってはいけない」とは、言い方を変えると「仕事の機会を増やさなければいけない」ということになる。よく「仕事は選ばないと」などと言う人がいるが、質を選ぶためには量をこなす必要があるのだ。しかしそのやり方にも限界がある。前回のタコ焼きバイトのライター氏のように、有限の体力をすり減らすだけで未来につながらない仕事をやってもただ疲れるだけ、ということにはなるだろう。まあ、たこ焼き屋でいくらがんばっても「あいつはがんばっているから原稿を書かせてみよう」という編集者には出会えないだろうしね。

これはあまりうまく言葉にできないのだが、『バトル・ロワイアル2』で私がつかんだ感覚は「前線にいるような自分であれ」ということだった。たとえばプロ野球であれば、どんなにいい選手であっても試合に出てこなければ存在感を示すことはできない。代打だろうが代走だろうが、それこそ乱闘要員だろうが、グラウンドに出てきてファンに認知されてこそプロというものである。それと同じことでライターにも存在感を示すべき場所というものがある。その「まっただなか」に自分を置き続けよう、というのが2003年にひそかに誓ったことだった。「まっただなか」であれば何でもいいのである。ジェットコースターの先頭に座り続けなければいけない(ジェットコースター嫌いだけど)。パーティーがあれば、そこに出席して、元気でいると示し続けなければいけない。パーティー好きじゃないけど。騒がしいし、立食嫌いだし。

とにかく現場。

何かあったら声がかかるほど仕事に近い場所。

そしていつでも声をかけてもらえるほどの存在感。

それを求め続けて私の30代はあったような気がする。そして、ミステリーのジャンルライターとして名前を上げることにも一応成功した。某作家さんが個人ムックを作ったとき、「あのひとは柔らかいものから硬い評論まで書ける人だから」という理由で仕事を任してもらったことがあった。その評価は、私がライターとしてもっとも自慢に思っているものである。なんでもできる。仕事だったらどんなことでもやれる。そう思って真っ直ぐに突き進んできたのである。この一本道の向こうには「名前で飯が食えるライター」という看板があるものと思いこんできた。目指せ○うらじゅん! いや、その半分の年収でもいいからちょうだい!

だが、その道を行き続けることはできなかった。

もしかすると、思っていたような栄冠がその先にはあったのかもしれない。もう少しで金看板に手の届く位置まで来ていたのかもしれない。しかし、そうはならなかったのだ。

2007年、前厄の年の夏、風邪をこじらせて咽喉に膿がたまってしまい、私は入院することになった。翌週から海外旅行の予定があったため、少し休んですぐに退院しちゃおう、ぐらいの軽い気持ちの入院だったのだが、担当医から私は目のくらむようなことを言われてしまう。

「血糖値が危険な水準になっています。これは立派な糖尿病ですね。患部の化膿がひどいのもそのせいです。生活を改めない限り、体調は悪化するばかりですよ」

え、マジ? これにてメジャーライター化作戦、一巻の終わり! どうするよ!

今回の「実券予定」(当時)※省略

(つづく)

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