杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。
画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)
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さて、今回からは未来へ向けての話をしたいと思う。前回までの内容を簡単にまとめると、こういうことになる。
・現時点で杉江松恋には自分の名前で人を集められるような「実券」人気はない(第1回)。
・10年後には今やっている仕事の半分以上はなくなる可能性があるので、新しい形態の何かを自分で作り出していかなければならない(第2回)。
・年を取ればいいポジションにいける、というライターのヒエラルキーは幻想である(第3回)
・仕事を断らずに「椅子」を守るという戦法は体力勝負なので、いずれ挫折する(第4回)。
・2007年を境にして紙媒体からの原稿収入は減ってネットやイベントを含むその他の収入が増加傾向にある(第5回)。
・物量頼みの広報・宣伝活動は定量的な評価ができず、効果がもう期待できない(第6回)
これは物事の否定的な側面だけを書いたのでもちろん一面的なのだが、自分を厳しく見つめるためにはこのくらいでちょうどいいだろう。ここから予測できる2022年の杉江松恋の最悪のシナリオは、以下のようなものである。
経済面。「仕事は自然減し、2012年当時の半分程度になった。しかも下から人が育ってきて既存のポストを奪われ、出版社の一部が廃業するか原稿の外注を減らしたために、さらにパーセンテージは減少、年収は2012年の8分の1程度しかない」
能力面「〈ミステリー〉に代わって世の中には〈ホニャララ〉というブームが起きているが、既存のジャンルに固執してきたために対応が利かず、他を攻撃することで自分を守るしかなくなっている」
人間関係「『ライターは営業が大事』が口癖で呼ばれてもいないのにいろいろなパーティーに顔を出し、年下のライターや編集者に威張り散らす。あだ名は「業界の良心」。業界の良心をもって任じてあちこちに口出しするからだ」
……なんか悲しくなってきたのでこのくらいにする。いや、上は実在の誰かをモデルにしたわけじゃないから。このまま自分が馬齢を重ねるとどうなるかを書いただけだから。
だいたい理解した。気を取り直して続けます。グスン。
上のモデルの問題は、言うまでもなく自分が今いる業界ないしジャンルから仕事を「もらっている」という構造にある。「もらっている」から他の人間、とりわけ「これから育ってくる」人間が邪魔になるわけである。だって自分の取り分が減っちゃうからね。
そして、地位を上げることによっていい仕事が降ってくる、というポスト重視の考え方にも問題がある。ライターの世界では「自分はどうやって上がるか」という話題は酒の肴につきものだ。かつては(たぶん今でも)いい「上がり」というものが存在した。いちいち例は挙げないが、ああなったりそうなったりしていいポストを貰ったらもう「安心」というわけである。よく考えたら不思議な話なんだけどね。だって、ライターという仕事が好きで、文章を書いて飯が食えたらこんな楽しいことはない、と思ってライターになったはずなのに、そこから脱出したらどんなにいい未来が待っているだろう、という話をしているわけなのだから。そんなにライターって辛くて、年とともに疲弊していくものなのだろうか。いや、そうではないだろう。「上がり」の考え方の中にあるのは出世魚のように自分のポストを変えていって、最終的に誰よりもいいところに行ってやろうという人生ゲームのようなモデルだ。それって、どんな島耕作? サラリーマンが自分には向いていないと思ってライターになったのに、結局そういう生き方になっちゃうわけなの?
そしてもっと大きな問題は「仕事が無くなっていく」という考え方だ。ここで決定的に不足しているのは「仕事を自分で作り出す」という姿勢だろう。何度も書いたから繰り返さないが、減少傾向にあるのなら新しいものを作るしかない。これをさらにつっこんで言うと、自分のやることが一つの事業として周囲に認知されるようになって、そこに投資(お金だけではなくて時間やら人的資源やらなにやらも含めて)したいという第三者が登場するまでいって初めて「新しい仕事」ができた、ということになる。「業界」の中で認められた、と喜んでいるだけでは駄目なのだ。自分が「業界」になるしかない。
おおお、なんかすごいことになった。しかし、これは論理の必然だ。そうしないと間違いなく10年後には惨めな事態が待っているのである。あだ名は「業界の良心」だ。うはー、そんなのいやー。や、やるっきゃ騎士(みやすのんき)。
というわけで新しくやらなければならないことの方向性が見えてきた。箇条書きにする。
今からやることにおいて、
・自分以外の誰かをしめだそうとしたらおしまい。競争は大事だが、地位を守ろうとしてはいけない。
・特に自分より若い人、キャリアの浅い人を大事にしなければいけない。賛同者が「事業」に参加しやすくなる仕組みを作ることが何よりも重要。
・「事業」はあくまで成果主義で、その中に「地位」を重視するような構造が発生しないようにする。できれば参加者はずっと平等に。技能の有無による優劣の判断はもちろんあってしかるべきだが、それを「地位」に固定化しない。
・「事業」に「上がり」を作らない。上がってしまったら卒業するだけで、「事業」の上位概念を作らない。ずっと「事業」をやっていてもいいし、他の何かに転身してもいい。どっちを選んでも同じ満足が得られる、という形が望ましい。
・おもしろくなければいけない。できれば、というよりも絶対に、第三者がそこに加わりたいと思うくらいに。これはできれば、なんだけど「お金を出してもいい」と思ってくれるくらいに。
うん。これが理想である。そして、理想ってすごーく難しい。こんなことをするよりも、区議会選挙にでも出馬したほうがもしかすると楽なんじゃなかろうか(私の区では、2500票も集めればたぶん当選できる)。うむむ。
悩んでいてもしかたがない。とりあえず動き出さなければ。
そう思って私が最初の一手を打ったのは、自分にとって最も馴染みの深い分野だった。
すなわち「書評」である。
今回の「実券予定」(当時)※省略