実券でヨロシク8 「お前達がいる限り、FMWは絶対に潰さん!」(大仁田厚)

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画:くまさん(赤色バニラ)

杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。

画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)

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私は1つの「メディア」を持っている。「BookJapan」という書評サイトだ。書評を載せるだけのサイトであれば他にもたくさんあるはずだが、これは複数の書き手から寄稿された原稿を「査読」して掲載の可否を決めるという役割を私が一人で担っているという点が特徴である。私が編集者であり、主宰者なのだ。実際にサイトを見ていただけるとわかるが、結構凝った作りになっている。ホームページビルダーのような手頃なソフトで作れるデザインのものではないことは、しろうとの私でもなんとなく察せられる。そう、「BookJapan」を作ったのは私ではないのである。そもそもの経緯を話すと、ちょっと長くなる。コホン。

「BookJapan」というサイトを作ったのは、Aという広告会社だった。その会社のTさんという方に声をかけられて、私は「BookJapan」の書評陣の1人になった。2008年4月のことである。Tさんは本好きな方で、ネット環境を使って読書市場でビジネスをやるという狙いを持っていた。そのためにまず「BookJapan」に良い書評が集まっているということを周知し、サイトの価値を上げていこうと考えたのである。その話を最初に聞いたとき、「お金になることが本当にできるのかなあ」と私は半信半疑だった。そのころのネットビジネスでは、収益構造がボトルネックだという意見が多かったからである。

人はタダで手に入るモノには金を払わない。

その「タダの壁」を破るのは困難なことだと思えた。当時は。今はもう少し違った考え方をしているのだが、それは別の機会に書くことにしたい。

とにかく危なっかしいな、と思っていた(Tさん、ゴメン!)ただ、Tさんがやろうとしていることには賛成だし、新しいビジネスがもし生まれてくるならその場にも立ち会いたい(第5回を思い出していただきたいのだが、2007年の段階で雑誌から書評が次々に消えていき、私はかなり焦りを感じ始めていた)。そういう思いから、Tさんに協力できることはなんでもしようと考えていたのである。2008年の12月には「BookJapan」の冠をつけてトークイベントも開いた。だが、豊﨑由美さん他豪華なゲストを揃えたのに、集客にものすごく苦労した。思えばこのときに初めて「自分には実券力が無いのではないか」という疑問が頭をよぎったのではないかと思う。

あれは2010年の9月のことだった。Tさんから突然、「これ以上BookJapanを続けられなくなった」という電話が入ったのである。

ついに来たか、という思いもあってあまり驚かなかった。というのも、電話をもらう前に「実は折り入ってご相談があるので直接お話したいです」というメールをもらっていたからである。編集者が「折り入ってご相談が」と言ってきたら、たいていは雑誌が休刊になるか連載が切られるかどちらかである。おかげさまで2008年から頻繁にその手の連絡をもらっていたので、こっちの方も心臓が強くなっていたのである。

だが、電話に出てみると案に相違してTさんの声は暗くなかった。むしろさばさばしたような印象を受けたほどである。話を聞いてみると、BookJapanを続けられなくなった理由は資金難ではないのだという。あ、そうなのか。一瞬暗い想像をしちゃった、Tさんもう一度ごめん! 会社の経営形態が変わり、それまでBookJapanのために割いていた人員を他の部門に異動させなければならなくなった、だから事業自体を畳むしかない、というのである。つまり不採算事業の整理というやつですね。うん、それなら仕方ない。残念だけど。

そう思って電話の切り時を探していると、Tさんはまだ何かを話したそうにしている。「それで……」とTさん。「せっかくここまで作り上げてきたサイトなんで、ここでおしまいにしてしまうのはもったいなくてですね。どこかの事業者でそのまま引き取ってくれないか、探しているところなんですよ。そういう会社があったら、サイトのデータベースごと(データベースがあるのである)無償でお渡ししようかと思ってるんです。杉江さんの近い方でもし、引き継いでBookJapanをやってもいいという人がいたら、ぜひ教えてくれませんか?」

あれ?

もしかしてTさん、私に引き継いでくれって言ってない、それ?

「あの、それって、会社じゃなくてもいいんですかね?」

あ、やめろやめろ、と思う間もなく切り出していた。

「と言いますと?」

「たとえば私のような法人化していない個人が引き継いでも、現在のサイトをそのまま預からせてもらえるということなんですか?」

「はい」電話の向こうでTさんが笑ったような気がした。「杉江さんに引き継いでいただけるなら、僕は安心です」

と、これがBookJapanを私が引き継ぐことになった経緯である。細かいことは省略するが、BookJapanは2010年10月から私が主宰する書評専用サイトに生まれ変わった。それに当たって過去の執筆者に連絡を取り、継続して書いてもらえるか、もらえないか、という確認を取った。私には原稿料が払えないので無償である。中には「無料原稿は書かないことにしている」という主旨から執筆を断られた方もいた。それはもっともである。多くの方が「機会があれば執筆をしてもいい」という返事であり、データベースに収められたそれまでの原稿をそのまま残すことにはすべての方から承諾していただけた。こうして過去の財産を背負って、BookJapanは再出発したのである。

このサイトで私がやりたかったことは、書評家の育成だ。書評は日本ではまだきちんとした地位が与えられていない文芸ジャンルであり、中には「新刊の宣伝文」くらいにしか思っていない編集者もいる。というか大半の編集者がそう思っている。はい、思っていた人手を挙げて。私は、書評は第一に読者のためにあると考えている。本を好きな人に役立ちたくて書評を執筆しているのだ。たしかに結果として「新刊の宣伝文」になるだろうが、それは「その本を読みたいと思っている人、将来読む可能性がある人」に本を届けたいからやっていることなのである。可能性のない読者を欺いてまで本を宣伝するつもりはない。同じ考えを共有する書き手がもっとたくさんいれば、書評という文芸ジャンルも地位が向上するのではないか。だからもっと未来の書評家を養成すべきではないのか。

新生BookJapanは若い(若くなくてもいいけど)書評家の登龍門にしていきたい。

そんな希望に燃えて船出をした2010年の秋であった。

しかしBookJapanはまだまだ発展途上のメディアである。まず訪問者数が伸びていない。毎日更新がされるほど書評が掲載されていないからであり、書評家の数は絶対的に不足している。今の10倍は訪問者数を稼げるようなサイトにしなければ、ここから何かを始めることなど不可能だろう。

そこで2011年の1月からBookJapanは原稿料を支払うことにした。原稿1本あたり1000円を図書カードで支払うだけの微々たる額でお恥ずかしいのだが、今のところはこれが精一杯である。また、それまで大学の先輩後輩のつながりでやっていた編集部に外のスタッフを入れ、サイト運営をお手伝いしていただくことにした。前々回書いたように、ここは物量作戦である。私1人ではなんともできないから、数の力(この場合は経費)を借りて現状を打破していくのだ。おかげさまで執筆者は増え、原稿の数もそろってきた。サイトの状況もわずかながら上向きになってきていると思う。

しかしもう1つ問題がある。

このままではBookJapanは単なる杉江松恋の個人的なサークルにすぎず、書評のビジネスをやっているとは言いがたい。一応アフィリエイトという収入源はあるが、毎月ごくわずかな額しか入ってこないのである。それって単なる遊びじゃないの? と他人に言われたこともある。

執筆者が思うように集まらない理由の1つはそこにある。執筆動機が見つからないのだ。きちんとビジネスとして成立する媒体で、労働に見合うだけの報酬が支払われるならば人は黙っていても向こうからやってくる。「書評家の道が拓けます」じゃ足りないのだ。「杉江松恋があなたの文章を査読します」は別に売り物にはならないのだ。じゃあ何だ、何をしていったらいいんだ、というところでBookJapanは足踏みをしている。ここから先に脱け出すためにやるべきことを今は模索している段階なのである。

なんだろう。もっと何か楽しいことがいるんじゃないの?

(つづく)

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