杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。
画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)
=====
前回は、書評サイト「BookJapan」を私が主宰することになった経緯を書いた。「BookJapan」はまだまだ軌道に乗ったとは言いがたいメディアである(もしかするとこのまま試運転のままで終わるかもしれないという危険さえあるのだが)。どうぞご贔屓に。
世間の人は自分が思っているよりも書評について関心を持っていない、ということがなんとなくわかってきたのはいつごろのことであっただろうか。20世紀の間は、まだ幻想の中にいたような気もする。
2000年12月にBSデジタル放送が始まった際、BSフジは開局時から「お台場トレンド株式市場」という番組を放映した。トレンドという言葉が番組名に用いられているのがいかにも前世紀の名残っぽい(そしてフジっぽい)のだが、これは「音楽」や「グッズ」など世の中で流行っているものを取り上げ、ブームになるか否かを株式取引っぽく予想するというものだった。私はこの番組のレギュラーコメンテーターだったのだが、持ち場は「本」だった。当時「本の流行って、そんなに世間で気にすることだろうか」と出演しながらちらっと考えていた記憶があるので、この時点で書評というジャンルに不安を覚え始めていた可能性がある。「お台場~」は結局1年半で終了してしまったが、最後まで本のコーナーは継続してもらっていた。石黒謙吾氏や浅草キッドのお二人と初めてお会いしたのもこの番組である。
その後21世紀に入って雑誌や新聞に掲載される書評の影響力は相対的にどんどん下がっていった。その原因を検証することは今の私の手には余るが、amazonのカスタマーレビューなど、タダで読める本についての感想が増えてきたことは決して無関係ではないはずである。そうなると少しでも本について言及されたトピックがあると目立ってくる。TBS「王様のブランチ」の司会進行を務めていた優香が「私も泣きました」などと薦めた本が売れる、という現象が起きたのは2008年ごろのことだった。そういう例は以前からあり、小泉今日子が人気絶頂のころにラジオで言及した本がベストセラーになったということがあった。芸能人の力恐るべし、なのだが書評を生業としている者としては「かなわないな」というのが本音であった。いくらがんばっても優香にはなれないので、努力でなんとかなる問題ではないからである。
要するに本という商品ジャンルの持つ市場が小さいということを思い知らされたのであった。小さいから、何かイレギュラーなことがあれば目立つ。それだけのことなのだ。以前は大きな市場だったのかもしれないが、明らかにそれは縮小し、世間に対しての影響力は減少している。そうした事態の中で多数派の顧客に働きかけようとするならば、最大公約数の商品を扱うしかないだろう。それがつまり「泣ける」であり「いい話」であった。そうしたものが私は苦手で「笑える」「いやな話」が好きである。そうすると自然とマイナーなほうにいくしかなくなるのだ。
これは大問題だ。好きなものを優先して扱おうとするとマイナーになり、仕事がなくなる。書評家としてこの先やっていくとしたら、マスの読者層に届く本を書評しなければ需要はなくなるのである。要素をまとめると以下の4つということになるだろう。
・テレビで話題にされる可能性が高いか、テレビ発の企画本。
・極論によって世間を煽るもの、または保守層に働きかけて差別意識を満足させる本。
・自己啓発など承認欲求を満足させてくれる本。
・気持ちよく泣かせてくれる本。
ううむ、困った。上のどの本にも、私は関心がないのである。私が好むのは「テレビでまず取り上げられる可能性がなく、穏やかな論旨で物事が語られ、世の中には自分よりも優れている人がいくらでもいると思い知らされてショックを受け、かといって安易に泣かせないようにして時には大笑いさせてくれる本」なのだ。だから小説以外に歴史書を読むのも大好きである。きちんとしている歴史関係の学術書は上の四つのすべてを満たしているからだ。
こうした自分の嗜好を尊重しつつ「どんどん書評の場がなくなっている」という職業上の喫緊の課題を解決しようとすれば正解は1つしかない。テレビに代表されるような中央/マスの現場を主戦場にするという考え方を、放棄することだ。自分の得意とする場所に砦を築き、そこを拠点にしてやれる範囲のことで生計を立てていく方策を模索するしかない。
この条件を前提にして考えると、1つの魅力的なメディアが浮かび上がってくる。ラジオである。もしくはラジオの特質をさらに発展させたネット放送という新しいメディアだ。
テレビと比べてラジオやネット放送は、市場もまだ大きくないせいか、比較的自由になんでもやらせてくれるという印象があった。ちょうど吉田豪氏がポッドキャストという手法を利用して好き放題のことをやりだしていた時期でもあり、手ごたえも感じていたのである。どこかの放送局で出演枠を獲得できれば、そこを足がかりにして「杉江松恋の考えるおもしろいこと」を広めることも可能なのではないか。また、書評サイトの「BookJapan」で人材を育成することに成功すれば、そのライターに場を提供できるかもしれない。
ただし、杉江松恋は文章以外のパフォーマンスを買ってもらえるようなタレントではないので、それだけに専念しても商品価値は出ないだろう。無きに等しいライターとしての知名度を少しでも上げながら、何かのきっかけでお声がかかるのを今は待とう。
そんな風に思っていたのが2009年頃だったように思う。つまり、それまでの活動をすべて継続した上で、追加で新しい仕事に切りこむ機会がくるのを待つということである。そもそも、それまでの仕事の仕方で無茶をしていたから2007年に体を壊したというのに、その反省が活かされていない点がまず駄目だ。しかし当時は、走りながら進路変更をしようと思ったら多少の無理はしかたない、などと考えていた。一時的に負荷も高まるだろうが、数年なら寿命をそう縮めることもなく乗り切れるのではないか? いや、それは旧日本軍のような思考法だよ!
実は危ないところだったように思う。本当に当時は何にでも手を出していた。いや、それは今もだが、2009年当時は小学校のPTA会長までやっていたのだから無茶にも程がある。レポに連載していた「ある日うっかりPTA」を読んでいただければ(宣伝)、そこでも精神をすり減らしていたということがわかってもらえるはずである。しかし、そこまでしてでも「杉江松恋の拠点」という場所作りのためのきっかけがほしかったのだ。
そうして危険な道をまっしぐらに暴走していたころ、私はある人物から連絡をもらった。私に、定期的にイベントをやるプロデューサーの仕事をやってみないかというのだ。
(つづく)
今回の「実券予定」(当時)※省略