実券でヨロシク10 「それは血を吐きながら続ける哀しいマラソンですよ」(モロボシ・ダン)

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杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。

画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)

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X氏という人物がいる。オンラインマガジン編集長で、主にそうした方面で活動をしてきたという。そのX氏が突然BookJapanのメッセージを使って私に連絡をとってきた。正確な日付を忘れていたので確認してみたところ2011年2月1日のことだということがわかった。私に、トークイベントをやってみないか、という主旨である。一部文面を引用しておく。イベント名「Live Wire」の基本方針を以下のようにX氏は書いている。

――[……]こちらでは「観客参加型」のいわゆる対話スタイルを採用して、TwitterやFaceBook等のSNSのライブ版を実現してみたいなとおもっております。

当然、演者の方も、壇上で一方的に自分の持っているネタを吐きだして終わり、あるいはゲスト同士の漫談に終始する従来の形ではなく、客席との対話を重ねながら、面白い切り口を提示していただかねばなりません。

おそらく、通常のトークショーの質疑応答というよりもっと踏み込んだ感じで、パーソナリティを囲んだ『街場の哲学談義』もしくは『ハガキ職人が生参加するラジオの公録』と考えていただければいいでしょうか(まあ、お酒も入りますので、運営される方の“人徳”によっては『若干シャンとした酒場談義』になってしまうかもしれませんが(笑))。

観客もただ話を聞くのではなく、頭をつかい、喋り、抱えた思いを掃き出し、そして明日以降の生活に何かヒントを持ち帰れるような(本をテーマにした杉江さんのトークなら、具体的に家に帰って、アマゾンで注文する本選びのヒントになりますね)、そんな空間になればいいなと思っております。

前回書いたとおり、私はラジオ型の閉じたメディアを自分で作れないかと漠然と考えていた。それからすると、『ハガキ職人が生参加するラジオの公録』というのは魅力的である。「杉江松恋の作るメディア」に関心を持ってくれる人を増やしていけないか、という思いに手を貸してくれそうな人が現れたわけだ。イベント参加者を核にして、そこから周辺層を取り込んでいけないものか。

さっそく連絡を取り、会って話を聞いてみたところ、X氏は私にイベント案として「本の啖呵売」をやってみてはどうかと言ってきた。

「つまり杉江さんが観客の前で生書評をするわけです。それを聞いたお客さんが何冊本を買ってくれるか、ということをイベントの成功の目安にすればいい」

「あー、じゃあ、対バンじゃないですけど毎回ゲストを呼んで、どっちが多く本を売れるか、という競争をやってみてもいいですね」

この時点ではまだ世の中に「ビブリオバトル」というものが生まれていることを私は知らなかった。「バナナのたたき売り」のようなイメージで、同じように本の即売をやれないか、というのが発想の原点なのだが、これは後に少し変わった形で、しかもX氏のイベントとは別の場所で実現することになった。

X氏はさらに、現在交渉中ということで何人かの名前が挙げられているリストを見せてくれた。音楽ライター、政治評論家などの異業種の専門家の名前が並んでいる。

「この人たちにそれぞれの領域でイベントを仕切ってもらおうと思ってるんです。杉江さんは『本』のジャンルのプロデューサーということになります」

「本だったら何をやってもいいですか? 私、世間から見たら非常にマイナーなジャンルなんかにも関心があるんですが。あと、人文系の学者さんにもできればお話をうかがいたいと思っています」

「ああ、イベントが成熟してきたら、そういうのもありでしょうね」

ふむ。

実はイベント司会を務めるのはそれが最初ではなかった。公開インタビューアという形では、青山ブックセンター六本木店で「杉江松恋の○○トーク」というシリーズをやらせてもらっていたからである。これは店員の間室道子さんの発案で始めていただいたもので、ほぼ隔月で開催していた(間室さんが同店から蔦屋書店に移られてしまったこと中絶)。

「○○トーク」もやっていておもしろかったのだが、少し困ったことがあった。やはり書店のイベントなので販促効果が重視される。そうなると取り上げる本は新刊になるし、トークゲストは作家が望ましいということになる。作家とパイプができるわけだ。しかし、こちらの本業は「書評」である。特定の書き手と親しくし過ぎるのは控えるべき行為なのではないか。そういうことを当時、考え始めてしまっていた。

書籍の流通から独立したところでやるイベントなら、そうした問題を解消できるのではないか。

「○○トーク」が終了したという事情もあり、私は話を受けることにした。拠点となるのは新宿二丁目の「EXIT」というクラブスペースである。土日はクラブイベントで人が入るが、平日はどうしても店は暇になる。それならトークイベントで埋められないか、という店側の考えなのだそうである。

記念すべき第1回のイベントは、2012年4月20日に行った。「翻訳ミステリー大賞シンジケート」と「BookJapan」との合同興行である。その前年から「シンジケート」は、春休みの時期に合宿形式のコンベンションを開いていた。一年でもっとも優れた作品を顕彰する翻訳ミステリー大賞の授賞式をその場で行い、ファン同士が交流を深め合おうという主旨のものだ。ところが3月11日に東日本大震災が発生し、合宿形式のイベントはリスクが大きすぎることから、第2回は中止という判断になった。つまり授賞式が宙に浮いてしまったのである。式典自体を無くすという選択肢もあったが、ちょうどLive Wireというイベントがそこに浮上してきた、というわけだ。

盛況であった。作家の有栖川有栖氏がわざわざ来京され、同業の三津田信三氏と対談を行ってくださった。おそらくこの組み合わせの対談は初めてだったはずで、それを目当てのファンが大挙して参加してくれたのである。満員の観客席を見ながら、スタッフ一同大喜び。これならイベントを継続開催しても大丈夫、と意を強くしたものである。

ところが。

思いがけないことがその後に起きてしまう。

平日を埋めるためのイベントを、と言っていた「EXIT」の経営者が替わり、店が使えなくなったのだ。雇われマスターのように企画を頼まれた立場であるX氏はハシゴを外された形でおおいに困っただろうが、私も弱った。そのときにはすでに、ネタの仕込みをいくつか始めていたからだ。それをすべて無くしてしまうのは簡単だが、せっかく出したアイデアがもったいない。それに人を集めて新しいメディアを、という実験はまだ始まっていないも同然だ。

X氏は「EXIT」を離れ、他の拠点を捜しながら「Live Wire」を継続する道を選択する。私も乗った。そのときに決めたのは、せっかく新しい仕事を始めるのだから、今までにやったことがない分野にも手を広げようということだった。自分がもっとも強い分野はミステリーだが、それだけを頼りにしない。他のジャンルの専門家に頭を下げ、教えを乞うシリーズをいくつか作ろうと思った。

その代表格が、辻真先氏をお招きしての連続トークイベントだ。辻氏は日本のテレビ界の黎明期にNHKに入社し、数々の人気番組を制作された。その後に「8マン」からアニメーションの脚本執筆を始められ、1980年代までに莫大な数の作品に参加されている。主戦場が小説になった現在でも定期的に「名探偵コナン」の脚本を書かれるなど、アニメーション界との縁は切れていない。その辻氏にお話をうかがうことにより、見えてくるものがあるのではないかと考えたのである。私自身はアニメーションの素人だが、お話をうかがう間に何かが生まれるだろう――。そうした考えから辻氏に出演をお願いし、快諾をいただいた。ほぼ毎月、至近距離で辻氏の貴重な談話を聞けるのだから、これは役得である。

そんなわけで私はイベントにのめりこんでいった。知らない分野の本を読んで「あ、この著者に話を聞きたいな」と思ったら、すぐに連絡をとる。速水健朗氏の文化論『ラーメンと愛国』を読んだときなど、読み終わる前から「これは話を聞かなければいけない」という使命感に駆られたものである。おもしろいことの先端に自分はいたい、という気持ちは強くなる一方だった。

しかし、問題がある。

集客数が伸びないのである。イベント用に場所を借りれば当然料金が発生する。それを支払えば後は何も残らないということがほとんどであった。X氏と私の手間賃はゼロ、場合によってはX氏の持ち出しになる。

これはゲストの責任ではない。責任があるとすれば私である。「杉江松恋のイベント」というだけでは人が来ないのだ。以前から感じていた実券力のなさを痛感させられる日々が続いた。それでも同じ店でイベントを続けられれば、お客さんが場所につくということもあるだろう。その固定客がつく可能性も、会場が毎回変わることで消えてしまった。企画を出し、告知を打ち、人を集めるだけで精一杯で、トークをより良くするための仕込みがおろそかになることもあった。さすがに中身のない空疎なイベントはなかったが(と信じたい)、もっとよくできたはず、と思ったものも正直いくつかある。そしてイベントは一回限りのものだ。その模様はユーストリームで中継するなどの手段で拡散を図ったのだが、十分ではなかった。視聴者数は3桁に留まり、到底メディアといえるものにはならなかった。

冷静に考えると、後に何も残らない形でイベントを繰り返しているというのは、たこ焼き屋でアルバイトをするのとあまり変わらない。2011年後半から翌年前半にかけては、そういう日々が続いた。当時出演くださったゲストには、もう少しやりようがあったはず、と申し訳なく思っている。

この道には可能性がある。そしておもしろい。だから続けたい。

でも正直体がもたない。お金にもならない。冷静に考えたら辞めたほうがいい。

相反する思いを抱えてぐじぐじ悩んでいるとき、X氏が意外なことを言い出した。

「これ、僕が店をやったほうがいいんじゃないかと思うんですよ」

あ、その手があったか!

今回の「実券予定」(当時)※省略

(つづく)

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