杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。
画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)
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前回までのあらすじ。
新しい分野を開拓しようとしてトークイベント開催に乗り出した杉江松恋だが、予想以上の不人気(というか実券力のなさ)に打ちのめされ、せめて常打ちでやれる場所があったらいいのになと思っていたところ、Live Wire元締めのX氏が意外な一言を。
「これ、僕が店をやったほうがいいんじゃないかと思うんですよ」
あ、その手があったか。
たしかにそれは良い解決策だった。会場を転々と移ればそれだけ告知の手間は増える。仮に会場費を30%とられるとすると、その分だけを赤字枠が増える計算なのである。もし会場費の心配をしなくてよくなれば、集客数のノルマもその分減るだろう。
「でも会場を借りるということになれば、それだけ固定費がかかるんじゃないですか?」
「いや、そこはその、大人のやり方というものがありまして。杉江さんは会場費のご心配をしていただかなくても大丈夫です」
はい。わかりました。
とりあえず自分が会場費のことを考えなくてよい、ということだけは理解した。
しばらくX氏から「この土地はどうか」「客足はどうでしょうか」という内容の電話をもらう日々が続いた。まるで新居を探している新婚夫婦である。六本木に決まりそうという話を聞いたかと思えば、それがだめになって、人形町はどうか、という相談をされる。もう、これは永遠に決まらないのではないか、と思っていた矢先のことである。
X氏はあっさりと契約を決めてきた。
場所は新宿五丁目、靖国通りから女子医大通りへと抜ける路地の二階がその物件だった。話を聞いて実見に行ったが、最初はどこがそうなのかさっぱりわからなかった。何度か前を通りすぎ、X氏に電話で問い合わせてようやくそれらしき建物を発見した。
ちゃんこ屋である。
二階建てのその店構えは、どこからどう見てもちゃんこ料理屋だった。
X氏によると一階のちゃんこ料理屋が二階も宴会場として使っていたのだが、不要になって契約を解約したのだという(のちに一階も閉店)。実際に中を見ると、そこにはトークイベントの会場としてはあまりに斬新な光景が広がっていた。
「Xさん、座席が掘りごたつ式になってますね」
「元はちゃんこ料理屋ですから」
「お客さんは掘りごたつに座りながらトークを見物するわけですか」
「気取ってない感じで、いいでしょ」
「Xさん、もしかして開き直ってないですか」
「いえ、まじめに、心からそう思ってますとも」
後にこの掘りごたつ形式には問題があることが判明した。暖房の効率が悪いのだ。部屋を暖めると、当然のことだが高いほうから温度は上がっていく。お客が眠気を催すほどに部屋の温度を上げても、残念ながら足下は冷えたままなのである。そうだよね、元はちゃんこ料理屋だもんね。鍋を食べて暖まってもらえばいいから、空調の効率はそんなに気にしなくてよかったのだ、きっと。
それまでのイベントでは、ドリンクチャージを会場となる店に支払っていた。当然のことだが、それをX氏が提供することによって経費は節減できる。またトークが終わった後で別の会場でやっていた打ち上げも、店の厨房で料理を作って出せることになった。X氏が案外料理好きであるということを、私はこの時点で初めて知った。会場の家賃が月に○万、ドリンクやフードの材料費に光熱費、トークの模様を中継するための資材や人件費。それをもろもろ総合すると結構な額になる。
「で、これまで曖昧だった出演料のパーセンテージを固定にしようと思うんです」
打ち合わせをしているときにX氏が言い出した。
「え、大丈夫ですか。そんなことをして」
なにしろそれまで赤字にしか見えないイベントを連発してきたからこちらの腰は引けている。
「Xさん大赤字になるんじゃないですか、それ」
「いやいや」と苦笑い。「それなりに経費は計算した上で言ってますから。これでなんとかトントンにできるという額です。飢え死にはしないかと」
X氏の覚悟を感じた。だって会場費を払って月々いくらという固定の支出を作ってしまうんだよ。これでイベントが失敗したら、夜逃げものじゃないか。
「わかりました、Xさん」
「はあ?」
「私、毎週イベントやりますよ」
「毎週、ですか?」
「そう、平日のどこかの曜日を私にください。その日にはたとえゲストが来なくても、かならず私は店に来て、なにかの情報発信をします。そうやって常打ち状態にして『○曜日には杉江松恋のイベントがある』ということが広まれば、きっと固定客もついてくれるじゃないですか。ラジオ番組と同じです。決まった時間、決まった場所で何かおもしろいことをやり続けるという挑戦ですよ。それをやりきったところで見えてくるのが……」
「実券ですね」
「そう、これは実券力をつけるための施策、第一歩なんです!」
そんなわけで、船出をしてみた。
理想はいつも美しく、現実は常に厳しい。
今回の「実券予定」(当時)※省略
(つづく)