実券でヨロシク13(最終回)「10年、20年、30年経っても楽しく遊んでいられるライターでいたい。それだけなんだ」

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杉江松恋不善閑居の10/11付記事で書いたが、私は2010年頃に北尾トロさんが当時刊行していたミニコミ誌『レポ』に参加した。その『レポ』が〈ヒビレポ〉というメールマガジンのようなものを出すことになり、執筆陣に声がかかった。その折に、じゃあ杉江松恋というライターが今何を考えているかを書きます、といって全13回で連載を始めたのがこの「実券でヨロシク」である。たぶん2012年頃だと思う。原稿がごっそり出てきたので、一気に掲載してしまう。当時はそういうことを考えていたんだ、と懐かしく読んだ。参考になるかどうかわからないが、2010年代の話としてご覧いただければ幸いである。

画像はサークル〈腋巫女愛〉過去作表紙から(赤色バニラ・くまさん画)

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私はたぶん同業者から、金を稼ぐのが好きなライターだと思われている。

まあ、外れてないけど。お金は大事だから、必要なだけは稼がなくちゃいけない。

その必要なだけっていくら、だって?

答えは「同世代の会社勤めをしている人よりは少しでも多く」です。

■いったい、いくら稼げばいいの?

二〇一二年に私は四十四歳になった。税務庁の平成二十三年度版「民間給与実態統計調査」によると、四十~四十四歳の人の年間平均給与は四六一万円なんだそうだ。ちなみにこれは男女平均の数値で、男性が五七〇万円、女性が二八四万円である。日本はまだまだ圧倒的な男性優位社会なのだ。まあそれはそれとして、四六一万円が現時点の目標額ということになる。言っておくけど、私の場合は収入じゃなくて、所得ね、所得。総収入からもろもろの経費を引いたものが四六一万円以上あることを目指すということだ。もちろん、人生における総収入額がライターと会社員ではまったく違うから単純な比較はできないが、心意気としてこのくらいは稼がなきゃダメだということだ。家族だっているしな。

四六一万円の所得を確保するのに必要な収入額は過去の経験からだいたい把握できている。仮に必要経費が二割とすると目標とする収入額は五七六万円だ。これを十二ヶ月で割ると、一月あたりの目標額も決まる。四十八万円である。

「経費込みで四十八万円稼いで来い」と私の中の経理部が言うと、「了解しました」と営業部が駆け出し、仕事をとってくる。そして事業部が汗水たらして四十八万円分の製品(原稿)を作るわけだ。進捗管理をしないと計画に齟齬を来たす場合があるので、三ヶ月に一回実績報告会議を(脳内で)やる。稼ぎが足りない場合は営業部が経理部に叱られるのである。その結果営業部は必死こいて仕事をとってくるので、事業部は泣きながら残業をすることになる。ああ、今日も帰れない……(仕事場は自宅の一階なんだけど)。

冗談でも誇張でもなくて、だいたいそんな感じで私の一年は廻っている。私はもともとカタギの勤め人だったので、こういうやり方が性に合っているのだ。

これはひそひそ声でこっそり言ってしまうが

「事業計画も立てないで一年を過ごせるライターの人って、どんだけ自信家なの」

と思ってしまうのだ。私はそんな自信、ないもんなあ。

たった一人の零細業者であるライターにとって、事業計画を決めてそれを守ることは、勤め人以上に大事なことだ。だって誰も助けてくれない仕事なんだもん。もちろん、「もし、目標額を達成できなかったらどうしよう」と考えると冷や汗が出てくる。「今年だけじゃなくて、来年もダメだったら」と考えて始めるとなおさらだ。

「来年どころか、再来年もその次の年も……。今年がピークで後は下がる一方だったら、この先どうやって生きていけばいいんだろうか」

 うわ、うわ、うわ。それ以上言うと、泣きます。泣きますよ、ほんとうだよ。

そういう怖い思いをしたくなければ、とりあえず目の前の目標を達成していくしかないのだ。堅実に、堅実に。今日は特別「レポ」読者に、いいことを教えてあげよう。会社員時代、管理部門の上司に言われた言葉である。

「今月が赤字で来月が黒字。二つを足せばなんとかなると思うかもしれん。だがな、君。赤字に黒字を足してもやはり赤字にしかならないかもしれないだろう。しかし、黒字に黒字を足せば、絶対に黒字にしかならん。これは世の中の真理だよ」

黒字に黒字を足せば絶対に黒字。私はこの教えを一生忘れないと思う。

■この先、どうやって仕事をすればいいの?

お金のことばかりになってしまったので、ちょっと話題を換えよう。

二〇一二年の末に、私は「ヒビレポ」で「実券でヨロシク!」という連載を持たしてもらった。何度もその連載の中で説明したので詳細は省くが、自分自身の中にライターとして個人の価値を上げなければならない時期に来ているという思いがあり、そのためには何をすればいいのか、という試行錯誤のあれこれを書いたのがこの連載であった。その原稿の中では普段なら公開しないような内情もいろいろ明かしているので、関心がある人はぜひ「レポ」公式サイトで検索して、実際に読んでみてもらいたい。

連載をやりながら気づいたことは、ライター「杉江松恋」の価値をもし上げたいのならば、仕事のやり方そのものを大きく変えなければいけない、という事実だった。

単にがんばるだけではだめなのだ。身を削り、疲弊しておしまいになるだけ。ライターになって十数年、これまで培ってきたものを少しずつ捨てながら、別のやり方を覚えていかなければ先はない。客観的な事実から判断すると、残念ながらそういう結論になる。

というのも、ライターにとっては主たる収入源であるはずの出版業界が未曾有の不況に見舞われ、先細りになるのが明白だからだ。この点は説明の必要もないだろう。紙から電子へ、という大きな流れがある。これまで紙媒体に依存してきたライターの多くが、今や電子媒体に活動の場の一部か、もしくは全部を移さざるをえなくなってきているのである。仮に電子媒体が紙にとって代わったとする。「杉江松恋」というライターの場合、もしそうなったとしたら今やっている仕事で手元に残るのは二割程度のはずなのだ(この割合を出したときには自分なりの計算根拠があったのだが、それは今回省略する)。それだと絶対に食えなくなる、というのがごく近い未来に迫った危機、というわけである。

今の二割を手元に確保しておいて、あと八割の新しい仕事探しかー。

いやいや、そうではない。今の二割が何もなしで手元に残ると思ってもらったら大間違いである。

正解はこうだ。

今の仕事を全部ガラガラポンでいったん無かったことにする。そうすると、これからいろいろなものをなくしてしまうはずである。逆に新しく手に入るものもあるだろう。

その行って来いで、残るのが二割。そういうことだ。

今あるものをそんなになくすのは嫌だ、と駄々をこねて手元の仕事にしがみついても、たぶん結果は劇的には良くならない。もしかすると三割残るかもしれないが、そんなものだろう。絶対に五割にはならないはずである。そして、なくなった分の埋め合わせを求めようとしても手に入らない。なぜならば、旧いやり方で賄えていた仕事は、もうどこにもなくなっているからだ。全部新しいものに切り替わっている。そうなったときに慌てても、もう遅いのである。

はい。今から動きます。私は今から動くよ!

では、これからのライターの仕事はどう変わっていくのか。ライターの種類によっていろいろ違いはあると思うが、とりあえず杉江松恋をモデルに考えてみることにする。私はこれまで、主として紙媒体に、記名で原稿を書いて対価を得ていた。

一口で言うなら、そういう仕事はドラクエで遊んでいるようなものだったのである。それも最初のアレ。「おう まつこい しんでしまうとはなにごとだ」のアレである。

ファミコン版のドラクエの特徴は「あがり」があることだ。

竜王を倒し、世界に平和を取り戻せばそこでおしまい。モンスターを倒したり、アイテムを集めたり、といった努力はすべてそのためにしていることだった。「竜王を倒す」という条件を満たしてゲームを「あが」ってしまえば、それらの個別の努力をすることにはまったく意味がなくなってしまう。

実はライターの世界にも「あがり」が存在する。いや、存在した。ライターから一個上の存在へと「卒業」してしまえば、そこで「依頼原稿」というモンスターを必死こいて倒したり、「編集者からの信頼」「名の売れた媒体での連載」といったアイテムを集めたりする苦労からは解放されるものだと思われていたのである。

ただし、それには「ライター」から高次の存在へと出世する必要があった。たとえば「作家」、または「大学の先生」といったお仕事がライターの上にあると思われていた。あ、「編集プロダクション社長」というのもあったか。つまりそういう風に「あがる」ことで手に入れたものによって、日銭仕事は代替可能であると考えられていたのだ。ドラクエで言うと、勇者がアレフガルドの国王に就任するようなもんですね。

ずいぶん幸せな考え方だったのだ、と今は思う。業界が安定した状態にあり、「作家」や「大学の先生」をブランドとして遇することに意味があった時代には、それで大丈夫だった。国王になったらそれでおしまいなんて、のどかな話が十分に通用したのである。

今はそうではないだろう。ブランドの上にふんぞり返っていられるような場所はどこにもない。領土は縮小一途で、気が付けばどこにも国なんてない、ということにだってなりかねないのだ。もはや王様は丸裸であるということを自覚する必要がある。

変わらなければいけない。

そこで、これから、のお話だ。

今までが「ファミコン版のドラクエ」だとすれば、これからのライターのお仕事は「スマートホンのカードゲーム」になっていくのだと思う。後者が前者と大きく違う点は、明確な「あがり」が存在しないことである。プレイヤーが「勇者」とか「プロデューサー」のような役割を課せられてその世界に参加するところまではファミコン版ドラクエと同じだが、カードゲームには「竜王」のようなラスボスが存在しないことが多い。クエストと呼ばれるお仕事をこなしたり、課金してガチャを回したりすると報酬としての「カード」が得られる。ファミコンと違ってネットワークでつながっているから、他のプレイヤーと「バトル」することも可能だ。それらの結果、いつ終わるとも知れないレベルアップとカード収集が続いていく。しかし決して「あがる」ことはないのである。そこがライターという仕事の置かれた状況と非常によく似ている。権威が消失し、「あがり」幻想がなくなった今では、ライターは粛々と今の仕事を続けていくしかない。

カードゲームの中では、プレイヤーは世界に適応しなければいけない。限りなく自由度は高いが、「あらかじめ定められてない」何かをゲームの中で見つけない限り、ゲームは極めて単調で、退屈なものになるだろう。仲間を見つけてパーティを組むのでもいい。他の人が気づいてない新しい世界の眺め方をしてみてもいい。とにかく必要なのは「世界に自分をつなぎとめてくれる」何かを見つけることなのだ。それを見つけたときに初めて、プレイヤーは世界を楽しめるようになる。

ライターにも、この終わりのないゲームを楽しむやり方がきっとあるはずなのだ。

■楽しく遊んで暮らすために

もう一度「実券でヨロシク!」に話を戻す。連載の十二回目に、私は自分が新しくやろうとしていることの原則を四か条を挙げている。少し順番を変えて再掲する。

一.「あがり」「卒業」といった仕事の上位概念を作らない。

二.第三者がそこに加わりたいと思うくらいに、おもしろくなければいけない。

三.自分より若い人、キャリアの浅い人を大事にする。賛同者が「事業」に参加しやすくなる仕組みを作る。

四.原則は成果主義で、「地位」を重視するような構造が発生しないようにする。

第一項一については前段で書いたから改めての説明は不要だろう。これからのライター稼業に「あがり」「卒業」など存在しないのだから、それを餌にして人を釣ることは詐欺行為に近い。どんなに知名度が上がったとしても、居場所は現場であるとわきまえることが必要だ。これは職業倫理に該当する原則だ。

その次は、世界に存在し続けるための原則といっていいだろう。自分自身が参加していて楽しく、かつ他の人からもおもしろいと言って承認してもらえるものでなければ、たぶんライターの仕事は存在を許されなくなる。これからは、他人を巻きこめるようなおもしろいことを発見できるか否かが、生き残るための必須条件になっていくはずだ。お気づきかと思うが、母鳥から餌をもらわないと生きていけないひな鳥のような、待ちの姿勢はここではまったく無価値になる。仕事があるから編集者がライターを呼ぶ、のではなく、おもしろいライターがいるから編集者が仕事を作る、という形に仕向けていかなければならなくなるだろう。前段で、旧いあり方の仕事がなくなるというのはそういうことである。

第三は、人脈作り、人集めの原則だ。「コネ」と呼ばれるような骨がらみの人脈はこれからも存在し続けるだろうが、相対的に価値は減少していくはずだ。それより重視されるようになるのは、「おもしろいから一緒にやる」という前向きな協力の仕組みだ。私が、自分の仕事の採算性を重視するのはこのためだ。自分が損をしているような仕事に、他人を引き入れることはできないからである。黒字と黒字を足すと黒字。大事である。

最後に挙げたのは、仕事を継続していくための動機付けのための原則だ。もっとも憎むべきは年功序列である。なぜかというとそれは「おもしろさ」に関係ないからだ。人と人が接するときの礼儀は別として、後はただ「おもしろい」ことだけで結びつくような仕組み作りがこれからは求められていくだろう。

以上は「レポ」が創刊されることを聞いたあたりから、私の中にぼんやりとあったことである。「レポ」もそういう「楽しい」「おもしろい」の場にこれからなっていくのだと私は思っています。そうでしょ、トロさん? おもしろいこと、一緒にやりましょうぜ。

杉江松恋

1968年、東京都生まれ。なんでもライター。2013年はいろいろなことをやりますよ。初夏には藤田香織と共著で東海道ウォークのエッセイ本を出す予定。秋にはミステリー評論本。できればもう1冊本を出したいな。(当時)

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