某月某日
週末に大阪出張が控えているので、今週はおとなしく執筆と仕事読書に専念する。昨日できた原稿は一本。これによって10月末までに稼がなければならない金額への進捗率は40.80%となった。今月は不調、というか目標金額が高すぎるのだが、駄目元で挑んでいかなければ未来はないではないかね。
せっかくなので最近買った古本のお話。日本の古本屋経由でやってきたのは、『辻寛一自選集』である。「還暦記念」と背にある私家本で、過去に著した本から年代記風に抜粋したものらしい。そのリストも巻末に付されている。
辻寛一は1946年に自由民主党所属で立候補して初当選、以降1972年まで10期にわたって愛知県の選挙区で衆議院議員を務めた人物である。戦前は名古屋市の栄で辻かんというおでん屋を夫婦で営んでいた時期があった。そのころすでに市会議員になっている。店は空襲による延焼防止のため指定を受け、1944年6月に取り壊されて11年の歴史に幕を閉じた。
このツジカンこと辻寛一の著書をなぜ買ったかと言えば、彼が自民党の浪曲好き代議士の一人だったからだ。特に文芸浪曲の元祖ともいえる酒井雲と親交が厚かった。共に岐阜県長良村(現・岐阜市)の出身で、雲が7歳年長である。
――実家を出奔、行方知れずになって数年、誰もその生死のほどを知らなかったところの『豆腐屋の玉さ(実名玉之助)がエライ浪花節語りになって岐阜激情へごさッたげナ』と、郷村長良であは、寄るとさわると、その昔『豆腐屋の玉さ』なる、今は文芸浪曲創始者として、斯界に名だたるとかいう酒井雲の取り沙汰で持ち切りだ。(『雲狂由来記』)。
もともと辻は浪花節嫌いだったが、雲の「深川情話」を聴いてはまり、一気にファンになる。酒井雲の後援会会長にまで就任し、親密な関係となったのである。本書の目次を見ると、政治家に並んで浪界の士がずらりと名を連ねている。また、長谷川伸関連の記述も多く、平岩弓枝など弟子である新鷹会出身作家の名前も目次には頻出する。戦前から戦後にかけての文芸・浪曲界の話題が満載されているのである。これは買うだろう。
もちろんそれだけではない。辻寛一のご長男は、90歳を過ぎてますます意気軒高なミステリー作家・辻真先さんなのである。辻さんは、スーパー&ポテトシリーズの長篇『急行エトロフ殺人事件』で主人公を1944年にタイムスリップさせ、自身を登場させると共におでん屋の辻かんを描いている。『辻寛一自選集』は辻真先ファンのための副読本としても必携の内容なのだ。何しろグラビアには辻さんの結婚式写真まで掲載されている。これによって結婚された日がいつかまで特定が可能だ。グラビアによれば辻さんが生まれた日、寛一氏は市川小太夫軍と名大医局軍の野球支配を応援中のところに朗報が届いたのだという。私はいつか辻さんの評伝を著したいと思っているのだが、この本はそのための一級資料となる。
かねてより辻さんからは、寛一氏が酒井雲の後援者であることは伺っていた。もちろんご実家にあった資料はすべて遺棄されているのだが、なんらかの形でそれについて調べることはできないかと思っていた。本書を入手したことで、少し前進である。分厚い本だからまだ拾い読みしかできていないが、しっかり目を通そうと思う。よい買い物をした。