昨日も一日籠って原稿書きと仕事読書だった。短いものばかりだが三本原稿を入れて、10月に稼がなければいけない金額への進捗率は44.14%になった。といってもこれで10月の仕事はおしまいなので、終了ということになる。未達もいいところで惨敗だ。前にも書いたが毎月の目標金額は実際に入用な額よりも大きく設定してあり、1.5倍になっている。その最低必要金額からすると66.21%で、三分の一に満たない。来月こそは満額に達するようにがんばれ、私。
また買った古本の話。日本の古本屋で見た瞬間、え、こんなものが出るのか、と興奮して即座に購入したのが秩父重剛『浪花節大全』(八興社)である。しかも安かった。
芝清之『浪曲人物史 その系図と墓誌録』(上方芸能編集部)によれば、秩父重剛は1976年6月4日に亡くなったときに行年70歳だった由なので、1905年か1906年の生れである。秋田県能代の出身で、専修大学を卒業後にポリドールレコードに入社、1934年に東海林太郎のヒット曲を浪曲に脚色した「赤城の子守唄」が大ヒット作になった。初代春日井梅鶯の十八番である。この外題、木馬亭の定席からは耐えて久しいのだが、先日、京葉企画のなのはな老人クラブ興行で、東庄町で開催された公演があり、そこで聴くことができた。初代の弟子である春日井梅光が三代目を襲名している。その三代目が口演したのである。
「赤城の子守唄」が浪曲作家としてのデビューとなり、梅鶯や浪花家辰造のネタを多く手掛けている。当代東家三楽の持ち点田である「黒田武士」「慈母観音」、一門の弟子が手掛ける「神戸の長吉」「赤城しぐれ」などはこの人の作だ。
『浪花節大全』はその秩父のおそらく唯一の単著で「楽屋論文篇」と「読物篇」「上演篇」に分かれている。クレジットが秩父重剛編となっているのは、自分のものではない浪曲台本も収録しているからなのだろうか。ちなみに、国会図書館にはこの本の収蔵がない。
台本はまだすべてに目を通していないが、「楽屋論文篇」は読んだ。「近来、放送局に集る浪花節否定の当初が、非常に多いということは注目に値する」という記述があり、この本が出た1954年はそういう逆風もあったのだな、という発見があった。貴重な資料なので、じっくり読みたいと思う。
ちなみに重剛は筆名で、本名は重雄である。雄の自がタケとも読めるので剛と入れ替えた名前となった。秩父は本来の姓だが、1940年に母方の小川家を相続したのでこの姓に改めたものだ。墓所は生地である秋田市能代桧山町の浄明寺にあるという。