午後に編集者が近くまで来てくれて単行本の打ち合わせをすることになっているので、それまでは粛々と仕事をする。その甲斐あって、ここ数日手元で転がしていた原稿がなんとか終わり、担当に送れた。もう一本、レギュラー書評も仕上げて送る。これによって11月末までに稼がなければならない金額への進捗率は40.30%になる。100%は無理かもしれないが、最低ラインの66%はなんとかクリアできそうです、と脳内営業部と脳内生産部が嬉しそうである。
夕方になって打ち合わせ場所へ赴く。喫茶店に入ったのだが、誰も見知った顔がいない。おかしいな、と思い連絡をして、自分が一時間早く待ち合わせを勘違いしていたと知る。幸い家の近所なので、戻って軽く仕事をし、また喫茶店に行って無事に打ち合わせとなる。来年の三月に出る本の相談である。来年の三月、高尾じゃなくて新刊が出るよ。
昨日のこの欄で、ライターの右肩上がりは幻想で、市場の拡大というのは難しいが、今いる場所の拡張ならできるかもしれない、ということを書いた。もうちょっと言葉を補うと、全員が一つの基準とか、一方向に進まなければならないという思い込みに囚われているような場合は、それ以外にも価値はあるかもしれないし、別の道を進む手もあるよ、と提案することで未知の需要を獲得できるかもしれない、ということだ。
実は『路地裏の迷宮踏査』という私の二番目の単著は、そういうことを考えながら書いた本でもある。だから「路地裏」なのだ。この本の元になる連載をしていたとき、ミステリー評論は一方向に進んでいるように私には見えた。その論に沿っているか、いないかということばかりが問題にされているように感じられて、窮屈だったのである。別に妄説ではなく、議論すべき論であったから、それに関する議論が活発になるのはかまわないのだが、一色になってしまうことには抵抗があった。
そういう大通りではなくて、路地裏に見えるところを探してもいいんじゃない、という提案のつもりでつけた題名である。
路地裏なので大それたことは言えないのだが、その代わり他の場所では見つからないようなおもしろい観点が拾えるかもしれない。私は旅先でも路地裏を歩くのが好きだし、生活道路をちょっと脇に入ったところにある光景、ちょろちょろと用水が流れている道に沿って建てられた家の顔を見て歩くのを楽しみにしていた。幹線道路にはないものがきっとそこでは見つかる。そういうことをやっていくのを、自分の基本方針としよう。そう思って現在に至っている。『路地裏の迷宮踏査』は自分にとっては基本そのものの考えなのだ。
本日は19時から立川寸志さん落語会「トリ噺50席」である。今回の予告ネタは師匠・立川談四楼さん譲りの「岸流島」だ。まだお席の余裕はあるので、ぜひお越しを。そして来週26日に迫った、立川談四楼出版記念落語会もぜひ。