杉江松恋不善閑居 天中軒景友さん抜きの〈スギエゴノミ〉

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某月某日

前日の景友さん事故の動揺が収まらずに夜が明けた。いちばん辛いのはご本人なので、ここですべきは会を成功させることである。

昼過ぎにアートスペース兜座へ。この日は景友さんの妹弟子である天中軒かおりさんが後見で手伝いに来てくれていた。事故があったからお願いしたわけではなく、たまたまである。木村勝千代さん、広沢美舟さんが到着し、14時からいつも通り独演会に。

宇都宮釣天井 勝千代・美舟

トーク

中入

山菅の蛇橋 勝千代・美舟

11月25日が勝千代さんの師匠、木村松太郎さんの命日なので、この日は偲ぶ演目ということで「宇都宮釣天井」をお願いしていた。勝千代さんはこの演目を11歳で師匠から習い、地元・山梨県上野原市で開催された浪曲大会でかけたという。そのときの録音が出てきたというので一部をお客さんと一緒に聴かせてもらった。たしかに11歳らしい声なのだが、当たり前だが高音はよくのびるし、音程もしっかりとれていてまったく危なっかしいところがない。ゴロもくるくる回って聴き惚れた。ああ、こどものころから天才だったのだなあ、と改めて感じ入った次第。「山菅の蛇端」は日光開山の由緒を語ったもので、師匠松太郎の墓が日光道中沿いにあるということで、これも因んだ話になった。次回は1月25日、松太郎譲りの外題のうち「五郎正宗孝子伝」を聴かせてもらう予定だ。

その勝千代さんが帰るのと入れ替わりで天中軒月子さん、次いで沢村博喜さんが到着する。月子さんは景友さんの代演ということで、前日のうちに東京入りしてくださっていたそうだ。博喜さんも前日にお願いしたのに、よく応えてくださった。ありがたい、と思いつつまずは打ち合わせ。何しろ突然の依頼だったのでいろいろ伝わっていない。前読みでかおりさん、月子さん一席の後で中入で、もう一席でお開き、と相談がまとまった。

前日のうちにお客さんにはすべて連絡を入れ、キャンセルはご随意に、と伝えてあった。すぐに入ったキャンセル連絡が全体の三分の一ぐらいはあり、残りは返信がなかったのだが、嬉しいことにそのお客さんはみんな来てくださった。感謝しかない。キャンセルされたお客さんも、景友さん快癒の際は必ず来るとおっしゃってくださる。これは絶対にお礼の会をやらなければならないだろう、ねえ、景友さん。

琴櫻 かおり・博喜

徳川家康少年時代 人質から成長まで 月子・博喜

中入

観世の家宝 肉付の面 月子・博喜

折悪しく喉の調子が悪いとおっしゃっていた月子さんだったが、少しもそんなことはなく、この日は節のコントロールばっちりで聴き惚れる出来だった。博喜さんとはあまり組んでいないはずなのに、こちらの息も合っていた。お客さんも代演ということを忘れて聴いてくださっていたと思うし、掛け声も多かった。ピンチの時にこういう舞台を聴かせてくださるのが本当の芸人なのだな、と思い知らされた。

終演後はどっと疲れが押し寄せてきた。出演陣にお礼を申し上げて送り出し、お役御免。へとへとになって帰宅した。長い長い二日間がようやく終わる。

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